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優しさを与え続けよう ~魔法のザクロの実の話~

こんにちは、Yu+です。

ユダヤの昔話に「魔法のザクロ」という話があります。
この話では、仲の良い3人の兄弟が、自分が見つけた最も不思議なもの持って集合しようと約束します。
1番上の兄は世界の隅々まで見えるコップを、
2番目の兄は空飛ぶ絨毯を、
3番目の弟は不思議なザクロの木になるザクロを持って帰りました。

すると、ある国のお姫様が重病で苦しむのを世界の隅々まで見えるコップで発見しました。そこで、空飛ぶ絨毯を使って駆けつけ、ザクロの実を半分お姫様に差し出したところ、お姫様は回復することができました。
王様は感激し、この3兄弟の中からお姫様の結婚相手を選ぶことになりました。

さて、誰が選ばれたのでしょう。
最初に病気を見つけた長男?
絨毯がなければ駆けつけられなかったから次男?
ザクロを半分あげた三男?

選ばれたのは、一番下の弟です。
このユダヤのお話では、自己犠牲という視点で結婚相手が選ばれました。
上2人の兄弟のコップと絨毯は元の形のままでしたが、
ザクロは半分お姫様にあげたので半分しか残っていません。
人を助けるために自分のザクロを半分失うという痛みがあってこそ
お姫様との結婚を得ることができた、というわけです。

このお話の教訓である「ノーペイン・ノーゲイン」の考え。
つまり「犠牲なくして成功なし」ということなのですが・・・
私はどうも心から腑に落ちないのです。

この三男は初めから「お姫様と結婚したい!(=成功)」と思っていたのでしょうか。寧ろ、ザクロを半分あげたこと(=犠牲)が結果的に結婚(=成功)という形になったのだと思うのです。

つまり、「この人を助けたい」とか「誰かのためになるなら」と思ってやっていることが、結果的に成功をもたらすのではないのかな・・・と。

みなさんが、今自分が誰かのためにしていること。
パソコンの苦手な同僚のお手伝い、
次の人のために無くなったトイレットペーパーを取り換える、
被災地への募金、
簡単なことにも、時間的・物質的犠牲が伴っているはずです。

パソコンは得意だから別に教えることが苦ではないし・・・、
トイレットペーパーを替えるなんて数秒のことだから・・・、
募金って言っても十数円じゃあなあ・・・、
仮に犠牲が伴っていないと思ったとしても、そんなみんなの優しさの積み重ねが、誰かのゲインにつながるのではないのかなと思うのです。

この話の長男次男も、物質的にはノーペインだったかもしれないけれど、
お姫様を助けたいという優しさがあったからこその行動だったと思います。
実際に、ザクロの実だけではお姫様は助からないわけですし。

ほしい時に代償を払うのではなく、
いつでもだれかのためにできることを少しでもいいからする。
すこしずつ心の豊かさをゲインしていくのも素敵ですね。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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