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自分で勝手に正解を決めつけない

自分の中で生み出した仮説を絶対的な正解だと決めつけて世界を見ると、 
そのような正解だけを見つけてしまう事になると思う。 


今の自分の中にある仮説は、


『女性的なゲイは生きてきた中で我慢してきた分、どこかで心に歪みがある』 

というもの。 

スカートを履いていた自分、 
それを笑われた自分、   
男らしさを求められた自分、 

そう言った社会の『べき』に支配されてしまった自分。 

だから自分は生きるのが辛いんだ。 

人一倍、人の顔色が気になるんだ、、、。 


そんなふうに思っていた。  

けれど色々なゲイの人と出会って、 

めっちゃ喋るの上手いゲイもいるし、 
人間関係を器用にこなしてるゲイもいる。 

彼らが女性的であったとしても。 


その事実を度外視して、  

ただ自分を悲劇のヒロインにしたいから、


『自分は幼少期からの被害者なんだ』 

そう思うのはどうなのだろう、、、。 

今の人格形成には、少なからず『ゲイ』の要素はあったのかもしれない。 

けれど、今の自分の全てをセクシャリティのせいにして、変わらない理由をつくるのは幼稚な考えなのかなとも思う。  

決めつけない。 
そのままを見て。

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