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ゲイの未来



なんだろう。 

この記事を読んで、最近の自分が、 
『ゲイとして生きる明るい未来を描かなかくなっていった』理由が分かった気がした。  


ゲイアプリを初めて入れたのは、大学4年生の頃だった。

それを機に僕のゲイライフは始まる訳だが、

初めは、見るもの体験するもの全てが、 
目新しく新鮮で、 

こんなにも沢山の仲間がいることにワクワクした。  

おじさんに連れて行ってもらったスカイツリーと上野のゲイバー。 
初めてできた池袋の彼氏。  

そんな彼とは関係の構築に疲れ、私の転勤で遠距離になった事を口実に、3ヶ月で別れた。 

自分と同じ価値観の人を探しあぐねて、 
でも自分と性格は違う人であって欲しいと、

そんな事を思いながら過ごす最近。

いいな、かっこいいなと思うのは、ノンケの人がやっぱり多くて、 

きっと彼らから滲み出る、男性的なオーラに惹かれるんだろうな。


そんな時、
『僕はやっぱりゲイなんだ』 

と無意識に自覚させられる。

ゲイ界隈でもそういう、『ノンケ』っぽい人も多少はいるのかもしれない。

が、出会える確率は低いことも、何もなくだが分かってきた。

悩みを語り合う、同士としてのゲイは居たとしても 

『パートナーになりたい』

と思える人は中々居ない。 

例え居たとしても、そんな人には既にパートナーが居るか、やはりこの界隈。  

オープンリレーションシップや浮気はOKなど

自分の描く 

『一対一で信頼関係を築いていく』 

という考え方は 

ゲイの中ではマイノリティなのかなって。 

それはゲイ界隈で作られてきた文化的側面もあるし、性欲を持て余す男達の『性(さが)』なのかもしれない。  


刹那的に生きる事を疎む反面 
刹那的に生きているゲイの方々の方がゲイとしての人生を謳歌してるんじゃないか 


そんな風に思ったりもする。 

仕事に燃える訳でもなく、 
家庭を作る覚悟もなく、 
日々の淡々とした暮らしを
『これも小さな幸せだ』と 
思いながら過ごしていくことも考えるが、

これから40年、そんな風に仕事をこなしていくと考えるだけでギョッとする。  

別に今、特段大きな悩みや不幸を抱えている訳でも無いが、ゲイとしての明るい未来を無駄に描く事も無くなった。  

根拠無く、過度な期待をして落ち込むよりも、
はなから期待なんてしない方が、 
自分の心は守れるものである。 

ゲイは自分のほんの一部でしか無いとは言うけれど、僕の人生、『ゲイである』事のウェイトは
かなり大きいのだ。









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