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今思っていること

私の勤める会社は、100年以上続く歴史のある比較的安定した企業である。
しかしそれゆえ長い長い歴史の良いも悪いも代々受け継がれてきている。

その悪い方、こそこそ話、秘密の話がかなり多い。
人事の話などある時期までは秘密にすべきことがあることは理解できるが、そこでなされているのはそんな話ではない。
また、仕事を円滑に行う上で、話す順番(直属の上司→その上の上司…みたいな)があることも理解できるが、こういう話でもない。そもそもそういう話ならしかるべき人に向けて堂々と話してもいいはずだ。

私の身を置くオフィスでなされているこそこそ話は、「あの部署の誰誰が全然働かないよね」、とか、「誰誰クオリティーだから仕方ないよ」、みたいな誰かに対する愚痴や悪口である。

とにかくオフィスが悪口で溢れている。

そして我々若手社員はそれに「そうですねぇ。」と同調しないとなんとなく居心地が悪くなる。

私も入社して数カ月も経つと、社内派閥の強いほうに同調した方がやりやすいな、これが社会人か、などと思いながら、先輩と同じやり方をこれまでの歴史通り受け継いできた。

それが功を奏してか1年目はかなり優秀な新人として扱われていたと思う。

しかし、2年目、3年目となり仕事で自分で考えることが増えてくると、同調する言動と自分の考えとの辻褄が合わなくなり、忙しさによるキャパの不足も相まって悪口をいう人に対してストレスが溜まるしそういう人に対してコミュニケーションを取るのが億劫になる。

この場合、億劫になるのは私の怠惰なんだろうか。

ストレスが溜まると出勤時も仕事中も退社時も何の感情も伴わない涙が溢れたり、常に胃痛がしたり、呼吸が浅くなったり、頻繁に動悸がしたりする。これらの原因を仕事の忙しさであると思っていた。
仕事が思うようにこなせなくてそれ自体がストレスになっていたことは明らかだが、悪口で溢れるオフィスに身を置いていたことも大きな原因だと今は思う。

嫌だと思うことがあれば、その対象の回りの環境を整備するとか、その対象にアドバイスをするとか、何か解消するアクションをしてくれれば問題ないが、ただの悪口になっている時、ほぼ100%その解消に努めてはいない。

そんな悪口で溢れている場所に浸かっていると、なんだか居心地は良くないけれどそれが会社では普通なのかな、と思うようになる。

この思うことを確信に変えられて言語化できたのは、1年後輩の同僚と話したおかげである。なんかへんだな、という気持ちを私よりフレッシュな感覚で彼女が言葉にしてくれたのである。

長年同じ場所で働いているとその環境がスタンダードになってしまう。それが適応すること、適応能力なんだろうなと思う反面、今の職場に適応している自分を第3者的に想像すると、嫌気がさす。

適応力や処世術だけで生きていくことは賢くて効率がいいのかもしれないし、私はそれに少しだけ長けている自負があるけれど、そんな生き方は誠実ではないし求めていたものではない。

きれいに人生を生きることを大事にして、周囲の人が見て恥ずかしいことはしない、普通の道筋を普通に生きる、ということを四半世紀続けてきたように思うけれど、ここから先は処世術ばかりじゃない生き方をしたいなぁと。。

転職しなきゃ。

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