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【短編】思い出は流れて【恋愛】

 川の浅瀬。女性が横たわりその流れに身を委ねている。
さあさあと流れる音と共に、女性の濡れ羽色の髪がゆらりと広がっては絡まり、ほどける。
耳の穴をこぽこぽと水が埋めていき、女性の意識は現実から水の中へと沈む。
そうして彼女はとある人物との思い出をぐるぐると墜ちるように回想する。
 かつて、女性には恋人がいた。
儚げな笑顔が印象的な、知的で他者の苦しみにそっと寄り添える、心優しい人物であった。
女性は彼が持つ、その柔らかで包み込むような優しさを誇らしく感じ、恋人に寄り添い支え合えるような人間になろうとした。
 日々彼と悩みを共有し、優しい彼に相応しい振る舞いをしようと女性は心がけた。
そんな彼女を彼も心から愛し、誇りに思うと言葉でも伝えてくれたのは、彼女にとって今でも忘れられない出来事である。
 恋人との生活は穏やかで温かく、周囲の人間も自分たちを祝福していたように女性は感じていたし、それが当然だとも考えていた。
なぜなら、彼女は常日頃から恋人に相応しい人間になるための努力をしていたからである。
「彼を支えられるのは私だけ」「優しい彼と愛し合えるのは私だけ」
今では一種の傲りだと分かるその考えを、当時の女性は本気で思っていた。
恋人の愛さえあれば、何でも乗り越えられる。
いや、恋人を愛し続ける事が出来るのは自分だけなのだから、何が起きても怖くはない。
 その考えを打ち砕かれるには、そう時間はかからなかった。
彼女の恋人は『優しすぎた』
女性の考えや想いとは裏腹に、恋人の心は世界の様々な出来事に蝕まれていった。
 周囲の人間の悩みだけで無く、違う大地で起きる一見遠く感じる出来事にさえ彼は涙した。そのたびに彼は自身の無力さを呪った。
女性は彼が嘆く度に、些細でも彼が世界の力になっている事を必死に伝えた。
実際そうだと彼女は考えていたからだ。
 それでも、世界が優しい彼を蝕む事は止まなかった。
いや、彼自身が自分を苛む事を止めなかった、が正しいのかもしれない。
女性がどれだけ愛を込めて癒やそうとしても、それは虚しい結果に終わった。
 自身の心がボロボロなのに、彼は誰かの相談に真摯であり続け、見返りを求めなかった。
遠くで困っている誰かの為に出来る事を、ささやかでもと探して実行した。
当然、そんな彼の行いを彼女は手伝っていた。
恋人として当然だと思っていたからだ。
 しかし、心のどこかでいつまでも身を削る彼に疲れている事に気づいてしまった。
「それではいけない、私は彼を愛しているのだから」
「私は彼を誇りに思っているのだから、こんな風に感じるのも今だけ」
そうして女性は自分の心を見て見ぬフリをして、あふれそうになる『何か』に蓋をした。
だが、自分の心に見て見ぬフリをしていたからだろうか。
 女性は、恋人が自殺をする兆候に気づけなかった。
恋人が気づかせなかった、が正しいのかもしれないが、彼女は少なくとも「自分が気づけなかった」と考えている。
 ある日恋人の元を訪れたらその姿はなく、連絡もふっつりと途絶えてしまっていた。
彼女は必死に恋人を探した。
今まで彼と親しかった人物、彼を頼った人物、彼の親類、思い当たる全ての人物に当たった。
しかし、その誰のところにも彼はいなかった。

女性は思わず「今まで彼にあれだけ世話になったくせに」と悪態を吐きたくなった。
だがやめた。それは「彼が愛した自分」ではないと思ったからだ。
警察にも協力してもらい、彼女はただひたすらに恋人の無事を願った。
 それもまた、虚しい結果に終わった。
恋人は、今女性が身を委ねる川から死体となって見つかった。
世を嘆き、自分を呪った男は、全てを振り切って川へと身を投げた。
この結果を警察から聞かされた女性は、膝から崩れ落ちた。
涙すら出なかった。恐ろしいほどの虚無感が襲いかかったからだ。
結局、彼女の愛では恋人の欠けていく『何か』を補う事は出来なかった。
 彼との最期の別れの時、参列した人々は皆涙を流していた。
しかし、彼女は唯々放心して恋人を見送る事しかできずにいた。
周りはそんな女性を心から哀れんでくれたが、彼女は彼らの涙を薄ら寒いとしかもう思えなくなってしまっていた。

 「彼のこと、私は何も理解ってあげられなかった。でも、それは不可能なことだったんだ」
「だって、彼は私を見ていなかったし、私も本当に彼を見ていたのか、今はもう分からない」

 目を開く。
水に埋まる耳の中へかすかに届く声。
女性を呼ぶ男性の声だと、彼女は推測してそちらに目を向け、ほんの少し身体を起こす。
「おーい!大丈夫!?川は浅い所でも結構流れがあるからそんな風に寝てちゃ危ないよ。」「ありがとう、大丈夫だよ。あんまり気持ちいいからちょっと浸かってみたくなっちゃった。」
「川は一見穏やかでも流れが結構早いんだから、油断しちゃ駄目だって!」
「うん、ごめんごめん。もうしない。」
 女性の元へ心配そうに駆け寄ってきた男性は、彼女の婚約者だ。
日に焼けた肌がまぶしい、レジャーが好きでほんの少し無神経な人。
「さあ、あっちへ行こう。みんな君が来るのをまってるよ。もうすっかりバーベキューの準備は万端だからさ!」
 婚約者が力強く手を差し伸べる。
彼女はその手を取って、川からあがろうと立ち上がった。
長い髪が、思い出のように女性の身体にまとわりつく。
「うん、楽しみ。」
彼女はそれを払い、にっこりと笑顔を作った。


後書き

友人が出展する「オンナとおとこ、について展」用原案候補小説、3つ目です。
今回は昨日のど惚気共と打って変わった雰囲気のものになりました。
これは三浦透子さんが歌う「intersolid」という曲を聞きながらリビングのど真ん中でヨギボーの上に寝っ転がり、目を閉じてたら浮かんだイメージを元に書きました。
当然家族から「寝るな」のクレームが来ました。情緒台無し情報すみません。
とはいえ、冒頭のイメージは寝っ転がってる時にハムレットでお馴染みの「オフィーリアの死」が浮かんだから出来たものですね。
そこから「名前をつけて保存な恋」を書いてみようかなと膨らませてみました。
とはいえこれは上書き保存にも見えますね。どちらなのかは彼女のみぞ知る。
今回はあまり内容に着いて語るのは野暮な気がしますので裏話的なのはこの辺で。

イメージ元になった曲についてですが、お察しの通り雨穴さん絡みで知りました。
とはいえ、あのドラマはちゃんと追いかけられてないのですが……アマプラで見放題になったりしません?
YouTubeで無料配信してる奴を見るに、なーんかあれも通してわかる伏線があるっぽいんですよね……2だけなのかなそれ……
それはそれとして「intersolid」すごくいいのでオススメ楽曲です。
サブスクとか使ってる方は是非。使ってない方も是非。

それではまた別の記事でお会いしましょう。
俄雨(にわかあめ)でした。

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