結局健全かよ

最近、寂しさを覚えることがある。それは、結局のことろ、人は健全な方に健全な方に歩みをすすめていってしまうという事だ。この人のメンタルとか、習慣とか、やべぇな、ぶっ飛んでるな、面白いなっていう人でも、時がたてば、皆自然と健全な方向に行ってしまう。(そういう風に移行していくのは決して悪いことではないだろう。むしろ推奨されるべきことで、称えられるべきことなのだが)僕はそれが少し寂しかったりもする。例えば、レぺゼン地球。彼らはほんとにちゃらちゃらした遊びもんの兄ちゃん集団みたいな印象がでかいが、結局結婚したり、タバコを止めだしたりしている。他にも例えば、ハライチの岩井。彼は視点が鋭いし、周りへの毒をテレビで吐き出していた。僕はゴッドタンのマジ歌で岩井を観ていて、とてもかっこいいなと思ったし、心底惹かれた。そしてテレビも選んでると強気な発言をしていて、すげぇなぁとかなりのカリスマ性を感じてファンになった。けれども、ゴッドタンで再びはねた後は、ラジオでも、書籍でも話す内容は割とポップめな話題が多くなっていったし、テレビだって、どんな番組にでも出るようになっていっていた。まだとがっているころのスタンスでいる時ももちろんあるけれども、ゴッドタンの時期ほどの爆発力は薄まっていったように感じた。タ山添とか、さらばの東口とか、ラランドのニシダとかも結局のところクズさがだんだん治ってきて、仕事に精を出し始めたりしている。もちろん、デビューの状態の味で提供しようともがいている人もたくさんいて、それは普通にうれしいのだが、やはり時代が先に進んでいる以上、そういった人への風当たりは、デビュー当時よりも厳しいものなのだから、葛藤で苦しんでいると思う。芸能界だけでなく、タバコも吸ってパチンコもしょっちゅう行っていた人が徐々にその回数を減らしていったり、毎日クラブでどんちゃん騒ぎみたいなことが好きな人も結局何年かしたら普通の恋愛をして家庭を持つようになっていったりみたいなことがあちこちで起きているのを耳にする。
最近のテレビ番組の内容も、お色気企画とか過激なお笑い企画とか、アングラっぽい番組は淘汰されつつあって、クイズ番組とか生活情報番組といったような、健全な番組がラテ欄を埋めていっていると思う。そのようにテレビでは激しい内容ができなくなってきた分、Youtubeなどのネットの媒体ならできると思いきや、Youtubeも規制が厳しくなって、結局過激なものは淘汰されている。そうなってきてくるのは世の普遍的な流れなのであろう。実際にそれを論じている哲学者もいるほどだ。文明は発展するほど、健全になっていく。そしてそうなっていった社会では、人間はスポーツの方に流れていくそうだ。皆スポーツに熱狂を求め始める。それが健全な方向に動き出した社会の流れだそうだ。確かに、いまスポーツが盛り上がりを見せている。Esportsなんかがその地位を確立しだしているのもその影響かもしれない。しかし、僕はその流れが寂しいのだ。
なぜなのか。この健全化の流れが好きじゃないと思っているということは私はアングラな人間なのかというと、しかしそうではない。むしろ、今まで真面目に健全に生きてきたと自分では思っている。小学校のころは体操教室に通うのが僕の生活の中心にあったため、悪だくみを計ったり、いたずらを仕掛けたりなどのしょうがねぇことはやってこなかった方だ。学校が終わってから遊ぶ友達も、派手なタイプの子よりも、どちらかというと、教室の窓際でこっそりと遊ぶようなタイプの人と、マニアックな遊びに興じていたし、妹の面倒を見ることが好きな小学生だったので、5歳も年が離れているのに、同じ目線に立って遊んでいた。だからか、下ネタを初めて知ったのは小学校6年生の時だったな。そして自慰行為というものを知ったのは中学一年生で、教えてもらったのは確か、3年ほど年下の奴からだった。割と遅い方だと思う。3DSを買ってもらったのも、周りよりもずいぶん遅く、確か小学五年生くらいだった。周りは小学2,3年の時から持っていた気がする。そのDSの輪に入れなくて、一度ガチで切れたことがあるのは嫌な黒歴史だ。そして、スマートフォンが買い与えられたのも、中学3年になってからだった。それまではずっとガラケーを使っていたが、あまり不便に感じることはなく、むしろスマホ中毒などにならずに済んだから、健全な精神と肉体が宿っていただろう。だから、クラスの代表を務めていたし、生徒会に立候補して書記をやっていたし、学校の代表としてアメリカに2週間行かせてもらえるというかけがえのない経験もした。スマホにどっぷりと浸かっていたわけでもなく、日々の予定も体操と塾で埋め尽くされているからゲームをしている時間はなく、しかも体操で体力が備わっていたからか、その頃の僕は絶好調だったように思う。やはり健全な肉体と健全な精神が宿っていると、人は自分では想像もつかないような力を発揮できるのではないかと、シンプルに今振り返ってそう思った。なぜなら、今からしたら考えられないほどの活躍っぷりだからだ。まぁ、いい。健全な方向に向かうには運動が大切なのかもなという事はわかった。とにかく、中学生の時は健全な人間だったと思う。高校でも、箍を外して少しアウトローになるような出来事もなかった。女性関係も純粋で、でも奥手だったからそこまでの経験はない。しかし、大学生になって、周りがタバコやパチンコなんかをはじめ、そういう人と仲良い関係が続いたという影響もあって、興味を持ちはじめる。しかも一人暮らしを始めたからおやからの監視が解けて、自制する気持ちがだんだん揺らいでいったことによって、徐々に徐々に健全な心を失い始めていったのだろう。しかし、渡辺悠太という人間は小学生、中学生、高校生の頃に出来上がっていったと考えるなら、平均的な人よりも健全な人間なのだろう。それゆえ、好きな芸人さんは健全な人が多い。千鳥さんや、ニューヨーク、さらば青春の光など、女遊びが激しそうな人たちはたまに見る程度であって、オードリーさんや山里さん、銀シャリさんなど、そこまでアウトロー感がない人の番組の方が好きだったりする。
しかしそんな人間なら、きっとみんなが世の中が、健全な方向に向かうことは喜ばしいことのはずだ。なのに皆が健全な方向に進むことにさみしさを抱いてしまうのはどうしてだろうか。おそらく、それはアウトロー的な人への羨望のまなざしから来ているものだと思う。彼らのようなバックグランドが僕にはないから、逆に手の届かないところにいる存在なのだろう。いや、しかしそういったアングラに落ちていくのは誰でも簡単なことだ。手の届かないところではないし、実際僕もアングラ的な人に近づきつつある。私は最近タバコを吸い始めたり、パチンコも付き合い程度には遊んでみたり、風俗とかいう知らない大人な世界にも少し足を踏み入れてみたりした。ゲームもするし、お酒も飲むし、SNSもやってみた。麻雀もやってみたし、競輪や競馬もやってみたことがある。しかし、なんかまだアングラの人たちに手が届いていない実感がある。その正体はおそらく、僕の生い立ちが絡んでいるのではないか。先ほど述べたように僕は比較的健全な人間であるから、そういったちょっと悪い世界に足を踏み入れても、まだなんか納得いっていない感じが付きまとっているのかもしれないと思っている。でも実際、ギャンブルやたばこ、酒、ゲーム、SNS、女など、これら普遍的なアウトローな世界も味わってしまっている。本当にちゃんと健全な人は、最初からそう言ったものに触れないように生きてきたのではないか?なのになぜ私はそういったものを全般的に試してしまったのだろうか。
 しっかり考えてみると、一つの仮説が多い浮かんだ。なぜそれらをやってみたかというと、「仲間に入りたかったから」なのかもしれない。小学校のころ、僕の周りでは3DSが流行っていて、ある時ゲームの逃走中を友達がやっているのを僕ははたから見ていた。そこには、5人ぐらい集まってみな一人のプレイに熱中しながら見ては騒いでいた。僕も観戦する一員としてはじめは楽しく見ていたが、徐々に楽しくなくなってきた。なぜなら、みんなはハンターに捕まったらプレイを交代していたのに、僕には全然やらせてくれなかったからだ。それはおそらく僕がそのゲームをやったことがないためだ。みんな観戦するからには上手な人のプレイを観て、クリアすることでみんなで盛り上がりたかったのだろう。そうなると、僕のような全くの初心者にはゲームをさせてもらえなくなる。けれども、小学生の僕は、上手いプレーを見て盛り上がりたいという気持ちには気づかなかった。単純に、平等にみんな交代交代でプレーさせてもらえるものだと思ったから、10回くらい交代のチャンスがあったのに僕の手に回ってこなかった時、我慢できなくなって、僕は大声で「僕にもやらせてよ」と訴えた。その時の言われた方の顔はびっくりしていたし、少し怖い顔もしていた。そしてその場の空気が一変してさっきまであんなに盛り上がってたのに一気に冷めてしまった。この時の行動から察するに、僕はやはり仲間外れにされるのが嫌な人間なのだと思う。その時、逃走中のゲームを囲っていたのはいつも遊ぶ仲間なのに、この時だけは仲間外れにされてしまった。こんなことが多々あって、みんなの話題にもついていけなくなった僕は、両親に何度も3DS買ってと訴え、ようやく5年生になって買ってもらえた。そこからゲームのソフトを選ぶため、面白そうとか、やってみたいというよりも、輪に入るためのゲームを買ってもらっていた。それは周りではやっていた、それこそ逃走中のゲームだったり、大乱闘スマッシュブラザーズであったり、どうぶつの森であったりした。その頃は自覚していなかったが、今思えばその輪の入り方は空虚だっただろうなと思う。今もまさにそうで、大学生になってしばらくはゲームを持っていなかった。けれども、ある時、地元の仲間とつるむようになると、(まだ)ゲームの話題だとかがあったし、一緒にゲームをやったりするようになって、気が付いたらまた独りぼっち状態というか、話題についていけていない遅れた人間だった。ツイッターとかインスタグラムとかもやっていなくて、観るエンタメもバラエティ番組よりアニメや漫画の方が多数派で、聞いている音楽とかも、知らない人らがずらーっとあった。そして、彼らが僕の知らない話で話しているとき、僕はその話題に入れない事が少し苦しかったのかもしれない。そういう話題には愛想笑いをするか、だんまりを決め込むことが多かった。だから、ゲームも買ったし、SNSも始めたし、アニメとかもちょくちょく見始めた。そしてそこでつながりを得た。でも、なんか空虚だった。いつまでたっても孤独だった。ついていけないなと感じた。
そんな感覚は、もうろそろそろ社会人になる今でも思ったりする。だから性根は変わらないんだろうな。

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