ヤングケアラー

最近よく耳にするこの言葉、
「時代が遅かった」が正直な感想。
きっとわたしもそうだった。
そのころに流行っていたら何か違っていたかな。

介護ではないけれど、親・兄弟の精神的なケアを知らず知らずにしていた。

社会に出てその能力がとても評価された。
人を怒らせない、怒らせそうになるポイントもすぐわかり回避。人が言ってほしい言葉を察することができるのでなだめる力があった。場の空気を和ますためのピエロみたいな役割も得意だった。
それができずトラブルを起こす同僚を異常だと思って怒ってしまったこともある。それくらいみんな普通にこのくらいの神経をとがらせて生きているんだと思っていた。違うと少しづつわかり、家庭環境のせいで培った能力だとわかった。社会では役に立ったので、迷惑をかけられた家族に感謝の気持ちも少し湧いた。おかげで今活躍できています、的な。

しかし自己肯定感が流行りだしてから立場は一遍。
自分がない、自分軸で生きられていないことに気づいた。
努力してみたけれどどうしても自己肯定感はあがらない。
だって自分に価値はないから。頑張っている姿で憐れんで認めてもらうしかないから。
社会で褒められたこの能力も最近はバカにされている感じがする。
自分を押し殺して会社のためにすり減ってバカみたい。というZ世代からの視線。(お前らの無駄な自信から生じたトラブルも解決してやってんだけどな)唯一の武器が揺らぎ始めてなんだか悲しい。

ヤングケアラーは何歳までなのだろう。ヤングを卒業しても問題は続く。表には見えない家族の問題、発信する勇気も気力もない、発信してことが大きくなったらさらに面倒だという思い、的外れなサポートでいらだちを感じる可能性、、、ケアラーへのサポートは実際は難しいと思う。
そういう立場の人がいるということが広まるだけでも心が救われる。

いつかサポートできる立場になりたいなと思ってみたり。
はじめて自分のしたいことが見つかったかも。

将来に不安しかないけれど、多分明日も生きています。