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日本の「キシャクラブ」という病理 その③/③

さて、最終回です。

1.周回遅れ・・・どころの騒ぎではない、世界の中の孤児としての日本の主要メディア

ア)クオリティペーパーと大衆紙との区分け

メディアの中でも、特に新聞の中での区分けについては、「高級紙=クォリティペーパー」と「大衆紙」との区分けを耳にします。それぞれの定義については、辞書などで各々ご確認いただきたいのですが、よく「日本にはクォリティペーパーが存在しない。」といわれるのを耳にします。

これには新聞が我が国に導入されてきた歴史的経緯もあるのでしょう。ただ、本シリーズでここまで述べてきた、今日の我が国における主要メディアの問題点を論じる上では、別の概念が適当なのかな・・・と感じていました。

イ)ジャーナリスト(=新聞記者)とワイヤーサービス(=通信記者)という区分けと、日本の主要メディアの現在地

ここでは、このシリーズでたびたびご著書から様々な情報、お考えを参照、引用させていただいているフリージャーナリストの上杉隆氏が、新聞記者の種類について考えていくうえで、個人的にとても興味深いエピソードを紹介されています。少し長くなりますが引用します。

時は1995年6月、上杉氏がニューヨークタイムズの新米記者であったときに、函館ハイジャック事件の報に接した際のエピソードです。事件は犯人がその当時世情を混乱に陥れていた宗教団体の信者を語り、教祖の釈放を要求したこと、国内のハイジャック事件で初めて機動隊の強行突入が行われ、その際に警視庁の特殊部隊であるSATが道警機動隊を支援して、その存在が世間に初めて公になった事件として記憶されている方々も少なくないと思います。

「・・・一報はすぐにメディアに伝えられ、マスコミ各社は羽田空港などの各現場へ記者を派遣した。筆者も懇意の通信社記者からニュースを知らされ、当時の支局長ニコラスクリストファー氏の電話を鳴らした。
「今ハイジャックが発生している。当該機はまだ飛行中だ。私は羽田空港に行くべきか、運輸省(当時)にいくべき、判断がつかない。他のスタッフとの兼ね合いもあるだろうから、支局長からの指示が欲しい。」
初仕事にやや興奮して、ざっと状況を伝える。はやる気持ちを抑えながら返事を待っていると、予想に反して暢気な答えが返ってきた。
「なぜそんなに慌てる必要があるのか。」
クリストファー氏は落ち着き払って解説を始めた。
「確かにハイジャックは大きな事件に違いない。場合によっては我々も取材に動かなければならなくなるかもしれない。
しかし、発生したばかりの今、そうした事件、事故の第一報は、われわれ新聞の仕事ではない。その仕事はAPはAFP、KYODO(共同)などの通信社の記者の仕事だ。おそらく彼らは現場に行っているだろう。
われわれ新聞の仕事は、ハイジャック自体にどういった背景があるのか、それは政治的なものなのか、単に金銭目当てのものなのか、あるいは無事に解決したのか、悲惨な結果に終わったのか、そういったものを全て見極めたうえで初めて、取材をスタートするのかどうか判断を下すべきなのだ。その上で本当にニューヨーク市民や米国の読者にとって、それが有益なニュースなのかどうかをよく吟味したのちに記事にするのかどうかを決める。
それまでは私たちの仕事ではない。それは通信社の仕事だ。彼らの仕事を邪魔してはいけない。われわれは新聞記者なのだ。」
さらに、クリストフ氏は朝から大騒ぎした筆者に気を遣ったのだろう、こう付け加えて電話を終えた。
「だが、ニュースに対する君の熱意は悪いことではない。24時間いつでもかまわない、君がタイムズにとって必要な情報と判断すれば、これからも遠慮せずにいつでも電話を鳴らしてくれ。
それから。もう一つ。もしかして、APはそのハイジャック事件をまだ知らないかもしれない。君からAPに知らせておいてくれ」(『ジャーナリズム崩壊』上杉隆著、幻冬舎新書刊 P20~22)。

ウ)ワイヤーサービスでもなく、政府の広報ですらない主要メディア

上杉氏のエピソードをご覧いただいて、皆さんはどのような感想を持たれるでしょう。APやAFPのように事件の速報性を重視する通信社(=ワイヤーサービス)と、起こった事件について独自の考察を加えて、読者に様々な分析や提言を行う新聞社(ジャーナリスト)とは、その役割が根本的に違うということだと思います。

ワイヤーサービスとジャーナリストという区分けは役割に基づくものであって、上杉氏のエピソードが語るところからは、どちらが上で、どちらが下か、という序列のようなものはないと思います。

これは上杉氏が別の個所で指摘されているところですが、ジャーナリストが書く記事は、日本でいえば週刊誌の特集記事がイメージとしては近く、一つの記事が紙面の複数ページにわたることもあるそうです。また、ジャーナリストの記事には、厳密な意味での締め切りの概念は、無いとまではいえないものの、比較的緩やか、と説明されています。読者に読む価値のある情報を伝えることが第一で、速報性が二の次ということが、ここからも見て取れます。

そして皆さん、日本の主要メディアです。

そもそもキシャクラブがいたるところで設立されていった理由に、「特オチ」を極端に嫌う日本の主要メディアの心情があったことは、前回までに述べたところです。この発想自体が、ニュースの速報性を重視するワイヤーサービスそのものであって、先に述べた意味でのジャーナリズムは日本の主要5大紙、在京主要キー局の中には見当たらない、そう思うのですが、いかがでしょうか。

少なくとも日本の主要メディアの中には、上杉氏がニューヨークタイムズ支局長から教えられたジャーナリズムは存在せず、ワイヤーサービスしかいない、、、としか思えないのですが、、、あとは皆さんの考察に委ねます。

しかもです。その速報ニュースの内容すら自分たちで吟味作成することなく、政府関係者のコメントをそのまま流すだけであれば、それは上杉氏が述べるようにワイヤーサービスですらない、もはや「政府の広報」です。

さらに経済評論家の上念氏が述べるように政府関係者から配られた紙をそのまま記事にするだけであれば、「政府の広報」ですらない、「ヤギ牧場」という呼称がふさわしい、ということは前回までに述べた通りです。

エ)世界のメディアにおける多局化とSNS活用の趨勢にも乗り遅れる

日本以外の諸外国では、テレビや動画などのメディアは目的に応じて多局分化が進んでいるということです。同じニュースの中でも、政治、経済の各々で、異なる専門放送局がその道の専門家を呼んでニュースを分析解説する、という流れが主流になりつつあると、聞きます。

双方向性を特徴とするSNSを利用した情報発信にも日本の主要メディアは乗り遅れているとのこと。以上は上杉氏や井沢元彦氏が今まで紹介してきた著書や動画などで説かれていることを拾った内容です。私の理解不足で内容に誤りが含まれていればお二人や関係各位にお詫びしたい。ご指摘いただければ修正など検討します。

2.私たちは今後どうすべきか。。。

激しい斜陽にさられている日本の既存の主要メディアの末路は、勝手に滅びて下さい、という話でさておき、私たち一般国民は、今後どのように対処していくべきなのでしょう。

まず、主要メディアの情報は、少なくとも政治経済分野については信用しない。あるいは、書いてあることは、官僚が渡したメモ通りであるとすれば、内容は官僚がメディアを観測気球として使って世論の動向を読みにきている、と捉えればよいのではないでしょうか。

これは、知り合いから勧められたのですが、ニューヨークタイムズなど海外メディアの記事が、自動翻訳の技術の発展に伴って、廉価で日本語で入手できるようになってますので、これを利用するなどを試しに始めています。

それから、これは私自身への戒めでもありますが、自分とは異なる思想、意見にも耳を傾ける。例えば私は保守なので、意識的に中道左派、リベラルの意見にも耳を傾けるようにしようと努めるようにしています。これは上杉氏の前掲著書でも、具体的な方法論と共に紹介されているので、ご興味があれば参照されたい。情報リテラシーを高めていく上でためになる情報が詰まっています。

「自分が正しい」と信じて異論に一切耳を傾けない、違う意見の人に知的マウントを取りに行くような、カッコ悪い人間にはなりたくないものです。絶対に。。

経済や金融についての情報については、これはここ数年私自身が痛感していることですが、慎重に裏を取る必要があると思います。

ある主張がきちんとした経済指標や経済学の知見に基づいて導かれたものが。

経済指標が示されていても、その使い方や読み方に問題はないか。

実質賃金が○ヶ月連続下落して大変だwww

とかは典型ですかね。

キシャクラブに加盟していない週刊誌などは、一概にはいえませんが、ジャーナリズムにふさわしい内容に仕上げた記事も目にします。

この辺りは、また私が学んだことを都度シェアしていきたいと思いますので、一緒に学んでいただける方にお目通しいただければありがたいです。

ではまた。

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