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貴方の幸せ=私の幸せ


僕らは皆、自らの幸せに向かってヒビ生きている。




その中でも、本当に自分ひとりの幸せのために動いているも者もいる。




はたまた、他人の幸せのために動いている者もいる。




時と場合によるという者もいるだろう。






この中のどのパターンに属している人でも、幸せに、心穏やかに暮らしている者もいれば、常に乾きを感じ、外側に存在する何かで喉を潤さざるおえないような者もいる。






今幸せである者。その人物は、真に自らを満たす方法を知っている賢者だ。





彼ら彼女らは、渇きを知らない。枯れることを知らない水源が、自らの内に存在することを知っている。





水源から自動的に清らかな水が湧き出るのを邪魔する「不要な欲望」を手放している。





彼ら彼女らは、自らに何が必要で、何が不要か、確かな知恵で認識している。








一方で、常に渇き、外側の水を欲している者は、単に自らのことを知らないだけだ。





自らの内に水源が存在していること、それを覆い隠す存在があること、そのものを知らない。






また、自らに向き合って、自らの心を知ろうとしない。






だから、常に外側のもので自らを満たそうとする。






それが、他者を幸せにすることであろうと、自らの殻に閉じこもることであろうと、同じようなことだ。






今自らが満たされていないのならば、同じことだ。






そういう者は、何が自らを満たす事になり、何が自らを乾かせるのか、それを知らなければならない。






本当に満たされるには、自らの心を知る。それ以外方法はないのだから。










人のために生きる者、自らのために生きる者、どちらにも共通点はある。






それは、どちらも、実のところ、自らが満たされるためにそれを行っているということだ。





他人の幸せを願うものも、結局のところ、他人の幸せな姿を見る事によって、自らの内に感じる「幸せ」がほしいのだ。





もし、他人の幸せを見ても、自らが何も感じない仕組みなのであれば、おそらく人は、人は他人のために動くことはないだろう。






そう、結局人は、自分の幸せのためにヒビ様々な行動をしているのだ。






これは、全く悪いことではない。ただ、この世界がそうなっているというだけだ。






そうならば、本当に自らを満たす方法を知り、内なる水源を、乾くことのない水源を開放するのが賢明であろう。






そうして、外側の誰にも、出来事にも依存しない平安、幸せを得た上で、その上で世界に出ていく。






人の幸せ、動物の幸せ、虫の幸せ、地球の幸せ、宇宙の幸せを願う。





そうしていくことで、幸せは無限に広がっていく。






だから、まずは自らを知り、自らを満たしなさい。





本当の本当の本心で、生きなさい。





本心を妥協してはならない。





本当に自らが満たされることは何なのか、そうでないものは何なのか、知りなさい。





それが救いになるはずだ。














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