気づきたち、とっても重要なこと達
今日は、日々の気づきを、重要なことを、思いつくがままにバババッと書いてみようかなって思います!
・思考は、常に恐れている。この体が死なないように、消えて亡くならないように、頭を働かせている。
考えすぎたり、緊張したり、すぐにに怖くなって逃げ出したり、寂しくなったり、悲しくなったり、不安になったり、焦って行き急いだり。。。。
全て、思考のなせる技だが、この思考は、あなたを不幸にしようとしているわけではない。
あなたを守ろうとしているのだ。
意外とありがたい存在。
しかし、この思考のおそれに従って生きていると、「生きるために生きている」という状態になる。
「生きるために生きている」という状態とは、「苦しみながら生きる」と同じ意味だ。
眼の前で起こることに一喜一憂し、喜んだと思ったら、次の瞬間には絶望していたり、恐れていたと思ったら、平安になったり。。。。
そのように、大きく波立った生を生きることになる。
「それが人生だよ!」「それが楽しいんじゃない!」そう思って楽しめる人は、楽しんだらいい。存分に荒波を楽しんだらいい。
もし、そうでない人がいるのならば、違う道もある。
「もうあんまり苦しみながら生きたくないな」とか、「もっと軽やかに人生を楽しみたいな」とか、「本当に自由で幸せな状態で生きたいな」とか、そのように思う人がいたならば
とにかく、思考に従わないことだ。
恐れ、焦り、不安、寂しさ
承認欲求、名誉欲、未来や過去の追求
あらゆるものを落としていくことだ。落としていくとは、それに従わないこと。
思考の声=自我 に従わないことだ。
あるがままの今を受け入れ、楽しみなさい。
今を生きなさい。
・真に幸せであることを求めるならば、「幸せな状態」を求めてはならない。
常に安らいでいたいとか、常に幸せを感じていたいとか、いいことだけ起こってほしいとか。。。
反対に言うと、苦痛なことは起こらないでほしいとか、悲しいことは避けたいとか。。。
眼の前の現実を、自らの思い通りにしようとすること
自分であらゆることをコントロールしようとすること。
そして、快楽や、楽しいこと、永遠の幸せのようなものを、求めようとするのを辞めること。
そんなことを考え続ける思考に、自我に従わないこと。
逆説的だが、真に幸せでありたいならば、真に幸せであろうとすることをやめなさい。
自分で設定した、「幸せな状態」を求めるのをやめなさい。
「素敵なパトナーが手に入ったら、私は幸せだ」
「一億円手に入ったら俺はずっと幸せだ」
「家族との関係がうまくいきさえすれば私は幸せだ」
「夢を叶えることができさえすれば、俺は幸せだ」
これら全てが幻想だということ。本当の幸せには関係がないということ。
本当の幸せは、現実をコントロールしようとする思考=自我 の声に従わないことによって生じる。
真の幸せ=自分から自由になった状態 なのだ。
だから、本当の幸せを求めるならば、幸せを感じていようとするのではなく、自由を求めなさい。
現実をコントロールしようとすることをやめ、未来に幸せを手に入れようとすることをやめ、今を生きなさい。
今すでにあなたは、私は、幸せそのものなのだ。
疲れたなら休み、休めないなら、その今を受け入れて楽しむ。
遊びたいなら遊び、遊べないなら、その今を受け入れて楽しむ。
そのように、今に抵抗せず、嫌がらず、反対に今がずっと続いてほしいと願わず、一瞬一瞬変化していく現実の全てを、あるがままに楽しむことだ。
余計な価値観、判断で、現実を着色せず、あるがままに見てご覧なさい。
そこには余計は苦しみや、浮き沈みはなく、軽やかなエネルギーが流れているでしょう。自由な、開放された感覚があるでしょう。
そうすれば、あらゆる幸せに気付けるでしょう。
小さな幸せを拾い上げられるように、感謝を拾い上げられるようになるでしょう。
そのように、素朴に生きることです。
今日は、こんなところにしておきましょうか。
またね!
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