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もういちど


#創作大賞2024 #エッセイ部門

 探し物をして、二階の息子の部屋にはいった。今は夫が書斎兼登山道具置きにしている。ブラインドをあげ窓を開けると、梅雨の晴れ間にこの町の家々の暮らしが見えた。そこから書棚の方に目をやると、息子が小学生のときに作ったプラモデルの『戦艦大和』があった。
 完全な形で残っていたわけではなかった。じゃあ、どう、完成形ではないの? と尋ねられたら答えられない。でも、いくつかの、いいえ、たくさんのパーツがないのは確か。
 でも、もしかしたらこれは、もともと未完成のままだったのかもしれない。
 小学生のころの息子は私の過度の期待に応えられなくて、苦しんでいた。母親の私にいつも気を遣っていた。勉強、勉強の日々。そんな中で、彼はよくプラモデルを作っていた。『戦艦大和』を作っていたのは、私立中学を受験する前だったか後だったか。
 私自身が親の引いたレールから心ならずも脱線し親を落胆させ、どんなに苦しんだか。なのに、息子に同じことをしてしまった。愚かだ。だけど、それに気づくには、人って愚かを経験しなければなかなか分からない。
 映画「連合艦隊」が公開されたのは1981年。
夫が試写会のチケットを二枚どこからかいただいてきた。戦争ものは苦手。だけどせっかくなので友人を誘って出かけた。結婚して一年目のこと。
 うつむき加減でスクリーンを見ていた。ただ、映像に重なって流れる、谷村新司『群青』があまりにも切なく心に響いた。映画が終わると出口に思いがけず、主演の中井貴一さん(確かこれがデビュー作ではなかったかしら)がスタッフとお見送りに立っていらっしゃった。
 初々しく、そして真っ直ぐな目をしていらした。私は「頑張ってください」とかなんとか言葉を掛けて、握手をして頂いた。私は中井貴一さんをすぐ好きになった。私はひたむきで一途なものが、とても好きだ。
 その時は、そのくらいの印象だった。それから40年ほど経って『戦艦大和』のプラモデルから、あるユーチューブの映像を見て、『群青』を聴いた。するとどうだろう。映像が、音楽が、名優たちの演技が私の魂を激しく揺さぶった。
 私は戦争を体験していない。だから、本当に戦争に行かれた方々を前に私は何も言うことができない。
 けれども、私は強く思った。時代に翻弄されながら、国を思い、家族を思い、愛する人を思い、自分の信念に誇りを持って亡くなっていかれた方々のことを決して忘れてはいけないのだと。そういう方々のうえに、今の私たちの繫栄も暮らしもあるのだということを。
 金田賢一さん演じる青年の出撃する前に書き記した一文が心にしみる。
「わが青春は未完成 わが人生もまた未完 すべてこれ未完」
若い命を送り出す立場の人々にもどんなにか苦闘があったことだろう。
それにしても、俳優さんたちの演技には、私、もう感服した。これが“男“というものなのか、と思った。以前、知人が言った言葉を思い出した。「男と女とでは、回路が違うのよ」 彼女はそう言った。
 本当にそうだなと思っていたら、花鳥諷詠をこよなく愛する俳人のわが夫が、なよっとソファーに座って読書をしていた。ほんとに、もう。イラッ。私は今、男の素晴らしさに感動しているというのに。しばらく、私の視界から遠のいていていただけませんか。
と思っても仕方がないので、私が遠のいた。
 『群青』 鎮魂歌として、これほど素晴らしいものがあるだろうか。私は何度も何度も『群青』を聴いた。
 もういちど、私たちが「今、こうして生きている」のはたくさんの先人たちの思いの上に在るのだという事を考えたい。考えていただきたい。

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