所詮、私の文はミミズの死に際

まぁ実際ミミズの死に際なんて見たことないのだが。

noteを書き始めてから、以前より活字に触れるようになった。新聞だって読んでみようと思ってはテレビ欄でお腹いっぱいになり、背伸びして文庫本に挑戦してみては、緊迫の第二章まででまんぞくしてしまったり。

いやぁ、活字って難しい!読むのだって大変だし、書くのだってキツイ。なんか読んでたり、書いてたりしてる際に、これまでの文章をどんどん忘れてしまって、何故今この文なのか分からなくなってくる。何気なく他の人のnoteを読むが、あんなに長くまとまった文章を書けるなんて、本当にすごいなぁ。

その点、私の文章は、ミミズが這い上がろうともがいているような、瀕死のザコの寄せ集めみたいだ。あー見るに堪えない。読むに堪えないが正しいのか?

滑らかな文章というのは読んでて心地がいい。するするーっと筆者の心持が体の奥に流れてきて、その上小粋な表現もあったらもう最高。真夏の昼間に、氷水に浸ったそうめんが出てきて、てんぷらまで一緒についてきたようなワクワク感。あぁ風流な文章たちがたくさん転がっているんだなぁ。

私もいつかそう思えるような文章を書き連ねたい。いいねもいっぱい来たり、なんか褒めてくれるようなコメントがついたりして。そんな感じになれれば、noteがどれほどよい趣味になるのか。もう想像もつかない。それでも、そうなってみたい。

これまで色々な文章に心打たれてきたが、そういった文章を書いた人達というのは、どういう精神状態だったのだろうか。常人だったら、そもそも自分のことなんて1000字だって書けやしないだろうし、長い文章を書いてる中で、整合性が段々崩れていってしまうだろう。ソースは私。今だって「まだ700文字なの?」って文字数の少なさにたじろいでるし、ちゃんと整合性は崩れつつある。一つのまとまった文章って、ほんとどんなメンタルだったら書けるのか。

悲しいこととか、嬉しいことがあれば書けるのか。私だって人並みくらいはあるが、自然と文章が出てくるような、感情爆発・クリエイティビティ人間じゃないし、最近あった嬉しいことは、サムライマックが美味すぎてハフッって言ってしまったくらいだし。さすがにサムライマックだけで3000字くらいは書けないと思う。いやでも、サムライマックラバーなら容易いのか。それってアンビリバボーに出るような、脂肪もりもりミシュランマンみたいな人しか無理なのでは??

noteを書き始めて4日目?5日目?な今日であるが、文章は一向に拙くて、まとまりがない。入れたい表現は多すぎて、読みづらすぎる文章になったり、言い回しが変になったり、問題は山積みだ。それでもちゃぶ台返しみたいに全部やめっ‼ってなってないところをみると、私は本当にnoteを書くのが好きみたいだ。これからもnoteを投稿していくと思うが、全部がデジタルタトゥーにならないように、ましな文章を書けるよう努力していきたい。

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