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一首評 大森静佳


ああ斧のようにあなたを抱きたいよ 夕焼け、盲、ひかりを掻いて
大森静佳「カミーユ」

私の中でこの歌は、歌集カミーユで1番好きなものだから、多分失敗するけど評をしようと思います。

短歌を作る上で本当のことを言おうとすればするほど失敗をしてしまうような気がします。感情に任せて自分の感情を発露させた際には、もう目も当てられないくらい残念なものができてしまったと、そういう経験のある人は多いと思います。

本当に近づけは近づくほど、読み手としては本当から離れていく感覚がある。だけれども、そこで生まれた本当の味がする失敗作のようなものを馬鹿にしてはならなくて、それは作者の内部そのものだからです。一読者としてその内部を読み解く必要があると思います。読者より作者の方が偉いと思っているので。

「ああ」の感嘆から「斧の」と続けることであまり馴染みのない初句が完成してまずそこが面白く、次に斧のようにあなたを抱きたいという激烈な感情が上の句で提示される。斧の比喩もものすごく繊細で木を切る時の強さと、そこに至るまでに割いた空気や斧の動きの曲線に美しさがあります。

ああ のカジュアルな口語から始まり  よ  のカジュアルな口語で完結する上の句に素直に感情移入することができます。

下の句はかなり難解で、この歌を評しようとしてる人は何人かいてもれなく景をとろうとしてたんですけど私はそうは考えてなくて、むしろ景を作ることをあえて失敗している事に意味があるのかなと考えています。

下の句も作中主体は上の句から引き続き抱く側の人物だと思っています。

上述した通り、本当のことを言おうとすると失敗してしまうのですが読点をつけて助詞を省略することで景色を破壊して本当のことをそのまま表現したことに美しさがあって、主体の内部から主体の生きる情熱や感情そのものを照射していると考えています。むしろ1度失敗することで結果として照射していると言う方が正しいかもしれません。(この言い回しは奥村さんの評論を読んで、そのままパクらせてもらいました)

下の句の内容については評を行いません。そうしない方が良いと思ったからです。

短歌を読む上でどこまで作中主体に共感しても三人称視点で観察してしまうんですけど、下の句で視点が崩壊して主体の「内部そのものを感じる」ことにこの短歌の圧倒的な強さと技術力があってえげつねぇなって思います。

他にも技術的な点や上の句下の句の関連などツッコミポイントはあるんですけどここでは割愛します。

歌集「カミーユ」は人間が生きる情熱を人間の内部から表現したところに私はめちゃくちゃ感動して、それに大きく貢献してるこの歌を評しました。多分もっと上手く書く方法はあるし小池くんに音声一首評した時同様何か失敗してしまったような気もしてるんですけどここで終わろうと思います。ありがとうございました。

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