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言の葉の庭 感想

1.   序論
本レポートでは新海誠『言の葉の庭』を取り上げる。本作は2013年に作られた46分の短編映画である。この映画はドイツの映画祭で最優秀賞を獲得しており、新海誠が世に知れ渡る『君の名は』を制作する1つ前の作品である。本稿では主人公とヒロインの関係の非対称性の動きを軸にして「言の葉の庭」がどのように悲恋であるかを分析する。

2.  本論
2.1「言の葉の庭」のあらすじ
  「言の葉の庭」は東京に住む男子高校生である主人公秋月と高校教師である雪乃先生(以下、雪乃)の2人を中心とした恋愛映画である。秋月は家族間のトラブルを抱えながらも靴職人を目指している高校生で、雨の日の日本庭園で本ヒロイン雪乃に出会うこととなる。雪乃は学校で起きたトラブルが元で学校へ行けなくなり、彼女が同じ学校の先生であると知らせないまま何度も雨の日になれば日本庭園で会う生活を送っていた。
  しかし、秋月は雪乃が教師であると、又問題を抱えておりそれがきっかけで教師を辞めることを知る。ある日、日本庭園にいる2人は雨で濡れ、そのまま雪乃の家に行くことになる。秋月は雪乃に告白するもそれを拒絶し、その勢いで秋月が家から飛び出たところを雪乃が裸足で追いかけ、2人がお互いに本音を叫び抱き合ったところで本作が終了する。

2.2  秋月と雪乃の非対称性
    本作では秋月は子供して雪乃は大人として強く表現されている。秋月は最初、雪乃のことを女性として大人として意識しているのに対し、雪乃は秋月を男性として子供として意識している。秋月は靴職人になるため女性の靴を作っているが上手くいかず、雪乃の足に直に触れて制作を試みる。雪乃の足を触る描写は男性の手の質感、同時に女性の足の質感を強く感じとれ、ここで2人はお互いの社会的なポジションを忘れ、男性として女性としてお互いに強く意識し始めたことがわかる。

雪乃が教師であることを知ると、秋月は雪乃を改めて大人(先生)として意識し、同様に雪乃も秋月のことを子供(生徒)として意識するようになる。一方で、秋月は雪乃の抱えた問題を知り、また雪乃はその問題を知ってくれた事で互いをより強く異性として意識している。

雨に濡れた2人が雪乃の家で雨宿りし、雪乃は普段着に秋月は雪乃服を借り、スーツや制服を脱ぐことで互いの社会的なポジションがその場では無くなったことが感じ取れる。雪乃はアイロンをかけ、秋月は料理を作る。そして2人の音声のナレーションで「今まで生きてきて今が一番幸せかもしれない」という直接的な表現が入る。秋月が雪乃に告白し、雪乃は嬉しく思うも、先生と生徒の関係だからという理由で距離を置いてしまう。告白することによってお互いは改めて生徒と教師のベールを被ることになる。

秋月が家を飛び出し雪乃が追いついた後、秋月は自分のことを生徒としか思われてないことを叫び、雪乃は秋月に救われていたことを伝える。2人はそのまま抱きあい、お互いを真に異性として意識したままエンドロールに入る。

3.  結論
本作品は大人と子供とそれを取り巻く社会を中心に、2人の恋愛を写した作品である。本論で挙げた、秋月と雪乃がお互いをどのように意識するかの変化と社会的な圧力がこの物語を悲恋としている。家族間で問題を抱える秋月と学校と問題を抱える雪乃はお互いに依存するも、社会的な立場や社会そのものによって引き裂かれてしまうのである。

雪乃は四国で改めて教師として働くこととなり、秋月は雪乃の足をサンプルにした靴を完成させるも、雪乃はもう東京にはおらず秋月が靴を日本庭園におく最後のシーンでは、雪乃は既に一人で前へ進めるようになったことを暗に示している。以前のように共依存はしていないものの、雪乃は教室の中から雨の予感を感じ秋月を意識し、秋月も完成した靴を手に取ることで雪乃を意識している。社会は動き、以前のような関係と対比させる表現も、この作品を悲恋たらしめている。

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