孔子:『論語』

孔子という男がいた。
その男の唱えた言葉が旧い中国では神の言葉のように扱われ、中国の歴史の方向を大きく決めてしまった。
中国人の感性に合った言えばそれまでだが、つまるところ皇帝制の権威付けに都合がよかったためとしか考えられない。まぁ孔子一人の責任ではないが…

孔子の言葉などを取り上げるなどといかにも年寄じみているが、個人的には儒教は好きではない。哲学だか宗教だか訳の分からない代物で、中国三千年の歴史でもっとも無駄に時間を費やした分野ではないかと思っている。
だから、中国思想の話になると、先ず読んでみろと勧めるのが浅野祐一さんの書いた『諸子百家』である。この第四章に「受命なき聖人・孔子」として彼の挫折・屈曲した人生を書いている。
せめてこれくらいは解った人でないと儒教について話をしてもしょうがないと思っている。

閑話休題。どうも今の社会はごたごたが多すぎると感じている。いろんな意見があるが、やっぱり問題はどこか自由をはき違えていることにあろうかと思っている。
といって自由を制限しろなどと思っているわけではない。自由と言っても「自分がして欲しくないことを、他人にやっちゃダメ」という最低限のことだけは守らなければならない、と言いたいだけ。
下にあげたものは論語の中の言葉ではあるが、『論語』の中の言葉だからって毛嫌いする必要もなかろう。

己の欲せざる所を、人に施す勿かれ = 孔子 『論語』顔淵第十二=

孔子の言葉を伝えているとされる『論語』には、こういう風な人として行うべき当たり前のことが数多く書いてある。儒学だとか朱子学・陽明学なんてごちゃごちゃした話とは無関係。
中国の歴史の中で儒教が果たした負の部分は主として孔子の教えを受け継いでいると主張した孟子という男にあると考えている。孔子の教えを利用して立身出世を試み、失敗を重ねても改めず、なんとか栄華をと夢見ていた男である。
孔子の本来の考え方は孟子のそれとは大きく違っている。釈迦の言葉と現在の仏教の考え方が違うのと同じである。

◎ 吉川幸次郎『論語』、世界古典文学全集、筑摩書房
   (原版は新訂中国古典選、朝日新聞社)
◎ 浅野祐一『諸子百家』、講談社(現在は同社学術文庫に収録されている)

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