家は箱庭
家は箱庭だと私は思っている。
箱庭って、あれね。
砂を敷き詰めた箱に、おもちゃを自由に配置していくやつ。
土台となる砂をどう区分けしていくか、
どんなおもちゃをどのように配置するかに、
その人の心のありようが表現されていく。
家は、どんな間取りになっているか、
そこに誰が、どんな家具やモノが、どのように配置されるかに、
そこに住む人の心のありようや関係性が現れてしまう。
そういう意味では、箱庭そのものだ。
「家が散らかっているのは心が散らかっているからだ」
なんて、そんな単純なことではない。
どんなものがどのように散らかっているかによって、
その人の心にどんな思いや価値観、禁忌事項があるか、
如実に表現されてしまう。
それは、
「なんで私が使わないトイレを私が掃除する必要があるのか。
自分たちでやればいい」
という攻撃的な思いであったり、
「相手を不機嫌にさせることは悪だから、
嫌いなものをもらっても捨ててはいけない。
私が我慢すればいい」
という犠牲的な思いだったりする。
片づいた部屋であっても、
その人の心のうちが表現されているのは同じだ。
部屋が片づいているから心が片づいているとは限らない。
殺風景という言葉があるように
「人生なんかどうでもいい」
と自分の人生をなきものにしようとする
気持ちの現われだってこともある。
だから、家に向き合うことは怖い。
片づけられない人がなかなか重い腰をあげられないのは、
そういうところも大きいと思う。
でも、片づけられない場合はまだいい。
問題意識を持てるから。
けれど、片づいている場合は問題があることにすら
気づけないことも多い。
でも、家を箱庭だと思って見つめてみることで、
これまでの生きかたと家族との関係性と、
自分が今何に苦しんでいて、
これからどうしたいのか、具体的に見えやすくはなるだろう。
決して楽ではないけれどね。
でも、自分の生きかたや考えかたを変えて、
人生を良くしていきたいと思うとき、
家を通してそこに取り組むことは、
心という目に見えないものを扱うよりぐっとリアルだし、
具体的に取り組むこともできるから、
心の取り扱いに慣れてない人にはいいと思う。
まあ、楽ではないんだけどね(2度言う)
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