カウンセリングofficeはちどり

臨床心理士として、ひとりの悩める人間として、日々思うことを自由に綴っていけたらと思いま…

カウンセリングofficeはちどり

臨床心理士として、ひとりの悩める人間として、日々思うことを自由に綴っていけたらと思います。カウンセリングは有料であり、限られた時間の中で行わねばならないため、コラムを通してにはなりますが共に考えることができれば、より一層相談者様の利益になると考え、願いとエールを込めて綴ります。

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自己紹介

改めまして カウンセラーの高橋です。 これまでカウンセリングを通して お会いしたすべての方々に 共に考える機会を与えていただいてきました。 そのことに 感謝の想いを噛み締めるとともに 遅ればせながら この度ホームページをつくったため ご挨拶の意味を込めて 改めて当オフィスについて 説明させていただければと思います。 ホームページを作ったといえど これまで通り個人カウンセリングは 完全紹介制となります。 そのため ホームページやコラムは 大々的な宣伝が目的ではなく

    • ※高橋と連絡が取れない時について

      本日、 職場に携帯を持っていくことを忘れてしまい 本日お約束をしていた相談者様にご迷惑をおかけしました。 大変申し訳ございませんでした。 今回は 幸いパソコンから連絡が取れましたが 今後、 携帯が故障することもあり得ると思いますので 高橋と連絡がつかない際は こちらのコラムをチェック下さると助かります。 携帯の故障や不調、紛失、盗難や 今回のように所持を忘れた場合、 パソコンからコラムを通してご連絡します。 重ね重ね、 本日は誠に申し訳ございませんでした。 今後、所

      • 縁と運と工夫が織りなすもの

        個人が誰として生まれるかは 人が関与できる範疇を超えているため まさしく運命とは 自分に生まれることそのものだと 折に触れて考えます。 自分に生まれたことを 幸と解釈するにせよ 不幸と解釈するにせよ 幸も不幸もあると解釈するにせよ 解釈や、解釈に伴う感情は 他人が絶対に侵し得ない その人だけの真実であり自由です。 個人の解釈や感情を 他人が操作することはできません。 (洗脳については本記事では触れずに進めたいと思います) 誰がどう言おうが 善意であれ悪意であれ 愛で

        • 4月〜5月予定

          いつも通り 木曜日と日曜日は 対面も含めて 比較的に都合がつきやすいです。 遅めの時間帯は 火、木、土、日だとありがたいです。 どうぞよろしくお願いします。

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          葛藤

          今日は私がかねてより 葛藤していることについて 書きたいと思います。 というのも ハンセン病資料館に行き 葛藤をより深く自覚したため 一度自分の中で整理をつける意味も込めて 綴りたいと思います。 ざっくり言うと 「尊厳」や「存在価値」についてです。 以前 ある患者様から 「仕事ができるやつ、能力のあるやつが評価される、認められる、良いとされる。理不尽な世の中。納得がいかない。」 と、訴えられたことがあり 言葉に詰まってしまったことを 思い出しました。 仕事ができる

          尊厳

          先日、 ハンセン病資料館に行ってきました。 ハンセン病は らい菌という細菌に感染することで 皮膚や神経に異常をきたす病です。 しかし 感染力も低く死に至る病でもなく 治療薬もある病気です。 ただし きちんと治療がなされなければ 例えば皮膚が変形してしまったり 顔が崩れてしまうなどの 後遺症も含めて 症状が痛ましいほどに目に見えるため 「恐ろしい病気」として 社会から分断された方々が 多くおられた過去があります。 ハンセン病に罹られた方々は 強制収容所に送られることを

          人は人を浴びて人になる

          世代も関係してかもしれませんが 私はこれまで 何かを推したことがないのですが 推すとは関係ないかもしれませんが 基本的には信頼のあるところに お金は流れると考えています。 生きるために お金が必要である限り 程度に差はあれど 信頼を得る必要があると感じます。 会社員であれ 個人業であれ お金が入ってくるためには 「好きになる」を超えて 「惚れ込まれる」必要があると 究極的には思っています。 そして 多くの場合「惚れ込む」のは 見た目や、職種や会社、資格の有無など 目に

          人は人を浴びて人になる

          育て合う2

          カウンセリングにしても プライベートにしても 私の人間関係の基本スタンスは 「育て合い」「助け合い」です。 けれど やはりカウンセリングは 厳密には少し違っていて もちろん結果として 育てられますし助けられます。 しかし仕事である以上 「育ててもらう」「助けてもらう」を 目的とすることは違います。 (言うまでもありません) やはりその方が 自分を育てることができるように 自分を助けられるように 「育てること」が 提供する技術の一つだと考えています。 では プロとして

          育て合う

          かつて私は 上手く説明さえできれば 何でも伝わると思っていましたし 誤解は避けれるものだと思っていました。 また、言葉が的確であれば 人は分かり合えるものだと信じていました。 しかし事実、 分かってもらえたときや 言葉が届いたときの多くの場合は、 私が上手く説明できたのではなく ましてや 上手く教えることができたのでもなく 相手がすでに知っていたことに対して ちょうど良い言葉をあてがえただけであり 「教えた」のではないとを知りました。 (相手の方の聴く力や理解する力が

          先日、地元の友人に 5〜6年ぶりに会いました。 もう5歳になるお子さんがおられ、 家では子育てをしつつも 会社では中堅として働いているそうです。 しきりに 「私もう局やからさぁ笑」と言っており 私ってそういう年でもあるんよなぁ〜と ついつい苦笑いになりました。 私は同世代の方より4年 早い方と比べれば8年遅れで 社会人になりました。 そのうちの2年は大学院がありましたが もう2年間は大学院を浪人していました。 浪人中、大学生時代も含めて アルバイトがゲームように楽し

          2/10〜3/19予定

          来週より月曜日か木曜日にて 5回のズーム勉強会(22時10分〜23時)に 参加することになりました。 また有益な情報があれば ここでもシェアしたいと思います。 終日不可の場合は×にしていますが 空白の日程は時間次第で都合がつきますので どうぞ気軽にご連絡くださいね。

          論理的思考とは

          私は論理的に考えることが ものすごく苦手なタイプの人間です。 しかし 曲がりなりにも専門家を名乗る以上 論理的かどうか シビアに自己チェックをするように 心がけています。 苦手なので、なおのこと 自分の仮説を信じてはいけないと 良い意味で考えています。 (本来は自分の解釈や直観を事実だとみなしがちの性格です) また自己チェックだけではなく 自分より熟練している先生に 週に1度チェックをしてもらっています。 専門家が 論理的でないといけない理由は 人の人生や命に関わるか

          大人との手応えある出会い②

          人生は絶えず 様々な「違い」に出会います。 自分はたった1人の 唯一の存在であるという 揺るぎない事実がある以上 「違い」に出会い続けることは 避けては通れません。 またその事実は時に喜びや 安心に繋がる場合もあるでしょう。 しかし 痛みにもなる場合もあります。 私たちは絶えず お互いに譲り合いながら生きています。 しかし、それでも 違いやズレをなくすことはできないため その都度、 違いやズレに伴う感情 とくにネガティブな感情を 対処することになるのですが、 やは

          大人との手応えある出会い②

          いのちの芽

          知らないことが多すぎると(当たり前なのですが) テレビをつけるたびに思います。 自分ができることを 探して見つけてやっていこうと思います。

          大人との手応えある出会い①

          私が肝に銘じている言葉の一つに 「善意こそ疑え」というものがあります。 私にとってこの言葉は 「他者からの善意を疑え」 という意味ではなく 「自分の善意を疑え」という意味で 肝に銘じています。 自分の善意だったとしても または悪意がなかったとしても 他者がどう感じるかは 分からないものです。 人は誰もが 過激なほどの自己中心性を持って 生まれてきます。 「自分を」理解されたい 「自分が」ほしい 「自分は」こうありたいなど つまるところ 子どもとは そういう存在なの

          大人との手応えある出会い①

          「できることをする」とは

          「ない袖は振れぬ」 という言葉が示す通り 「できないことはできない」と カウンセリングの中で 共有することがしばしばあります。 人というのは 自分自身に対しても 他者に対しても 「べき思考」を持ったり 「絶対〜だ」と決めつけたり つくづく やっかいな性質を持って 生まれてきたんだなぁと 我が身を振り返っても しみじみ思います。 私たちが「実際に」できることは すべきことや 絶対に〜だと思うことではなく、 そしてしたいことでもなく 「できること」のみです。 もちろん で

          「できることをする」とは