葛藤

今日は私がかねてより
葛藤していることについて
書きたいと思います。


というのも
ハンセン病資料館に行き
葛藤をより深く自覚したため
一度自分の中で整理をつける意味も込めて
綴りたいと思います。


ざっくり言うと
「尊厳」や「存在価値」についてです。


以前
ある患者様から

「仕事ができるやつ、能力のあるやつが評価される、認められる、良いとされる。理不尽な世の中。納得がいかない。」

と、訴えられたことがあり
言葉に詰まってしまったことを
思い出しました。


仕事ができる人や
能力がある人
社会や会社への貢献度が高い人が
優遇されたり評価されることは
現代において「普通のこと」です。

そこに希少価値があれば
なおのこと評価は上がるでしょう。


これは
つまるところ資本主義の考え方です。

結果に見合う
評価を与えるという考え方は
ある意味「平等」です。


何が平等かというと
経済活動において
チャンスが平等になるという意味で
「平等」なのだと思われます。


資本主義は
経済活動に自由を与えるため
競争が生まれますし
生産性が爆発的に上がります。

つまり豊かになります。


そして私たちは
豊かな世界に生きていますし

私自身も
あらゆる競争に勝ち(同時に負け)
今ここに立っています。


私たちは
勝って得たものと
負けて得られなかったものの
両方が受けて生きています。


紛れもなく誰もが
資本主義の恩恵を受け、
そして受けれず

しかし総じて結果として生きていて
生かされています。


生産力の高い人が評価される現実では

人によっては
自分は生産力が低いから

もしくは
誰かと比べると生産力が低いから
自分は価値がないと感じてしまう人を
続出させうるとも考えられますし

勝ち続けると思い通りになる、
もしくは思い通りになっている人がいると
錯覚する人が続出しうるとも考えられます。

この錯覚は
競争をさらに激しくするでしょうし、

競争が激化することで
人々の心と体が
擦り減らされることが想像できます。



ハンセン病資料館で
苦しみの中、
無念に亡くなっていかれた方々の
心の叫びを
言葉だけでなく
資料や事実を通して知り

「いのち」について
「人生」について
そして「尊厳」について

浅識ながら
改めて考えさせられました。


何よりも
対人援助職をする上で
どういった価値観や人間性であるべきか
改めて自分に問わねばならないと思い
まさしく今、
なんとか言葉に落としているところです。


私の仕事は
その方の心の叫びを聞くことです。

心の叫びを聞く仕事とは
大袈裟な言い方かもしれませんが
その人の想いや考えを聞く仕事です。


個人の想いや考えは
誰にも否定しようがない
その人だけの事実であり
その人がその人である証だと感じます。


自分と
まったく同じ考えや感情がないからこそ
人は唯一でオリジナルな存在ですし
だからこそ人は美しく尊いのだと
私は思います。


個人の考えや想いが
極端なまでに無視される状況で

人が存在していると言えるのか
生きていると言えるのか

たとえ
生きていたとしても、

考えや想いは
時として
命よりも重い場合があることを

例えば、
マザーテレサの死を待つ人の家に出てくる
末期のエイズ患者の少女のエピソードや
数々の歴史が証明しています。


例え、
思い通りにならなくても

よもや
思い通りになるかどうかに関係なく

自分の考えや想いを
なかったことにしないことが
「ちゃんと生きた」という感覚に
繋がるのではないかと私は思います。


自分がどう想っているか
誰からも分かってもらえない
自分さえも分からない
そんな悲しいことはないです。


カウンセラーが
相手の想いや考えを重んじなければ
カウンセラーの意味がないとさえ思う。


けれど一方で
その方の「現実」が
できるだけ良くなるために
共に考えることもカウンセラーの仕事であり
ひいては相手の尊厳を重んじる行為だと
考えています。


心の叫びと
その人の現実や未来
両方を大事にすることこそ
相手の尊厳を大切にすることなのでしょう。

しかし
それが難しい。


そこで
最初の患者様の叫びに戻りたいと思います。


「仕事ができるやつ、能力のあるやつが評価される、認められる、良いとされる。理不尽な世の中。納得がいかない。」


この方の考えは
この方だけのものです。
否定することは誰にもできませんし
仮に誰が否定しようが
なくなることのないものです。

けれど
この叫びを肯定することが
この方の人生をより良くするのか

この叫びが
この方の人生に何をもたらしうるのか
共に見ていくことは重要だと感じます。


本人が「見たくない」と叫ぶとき
本当に「見たくない」だけなのか
見たらどうなると思うのか
丁寧に耳を傾ける必要があるでしょう。




相手の言葉にならない叫びも
声のならない叫びも
大きな声で言えない叫びも
言いたくないような叫びも
ぜんぶ
「その人の証」であることは
間違いないことです。


その人の証を認めながら
しかしその人が生きている現実も
そして未来も
唯一無二の「その人」です。


その人の証を尊重することと
その人の現実や未来を尊重すること

この2つの尊重を
どういう形に変えるのが
相手の役に立つか
あまりにも難しく悩む日々です。

けれど
諦めずに考え続けたいです。

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