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漬物語彙の調査

このノートは、黒木邦彦先生が企画された2023年アドベントカレンダー「言語學なるひと〴〵」の記事として書かせていただいたものです。黒木先生、ならびにこのカレンダーの元となる「言語学な人々」を企画していただいた松浦年男先生に感謝申し上げます。

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なんだその研究?うめえのか?

「なんの研究されてるんですか?」
「漬物の名前について云々です。」
「・・・・・・ツケモノ?」
このやりとり、もうN回目である。これを避けようと「方言語彙の研究です」「食生活に関係する言葉について研究しています」とぼんやり言ったこともあるが、自分でもしっくりこない。また、思いの外この研究に興味を持っていただいた場合、「なんで漬物なの?」「どういうこと?柴漬けがなんで柴漬けだとか、そういうこと?」「漬物だったら京都とかの方が有名じゃないの?なんで広島?」「そんなに漬物好きなの?」「漬物美味しいよね」等々・・・・・・様々な質問やご意見を頂戴する。漬物は美味しい。だが別に漬物愛好家ではないし、好きだから研究対象としたわけではない。そして「漬物が有名な土地」「特徴的な漬物の名前」を対象としたいのでもない。「漬物」が日本人の日常的な食生活に深く根ざした食べ物であることを踏まえて、そのようなものの名前と地域の文化や生活との関係性について考えていると言えばよいだろうか。

 私は卒業論文、そして現在絶賛執筆中の修士論文にて、漬物語彙の研究を行っている。修士論文では、広島県豊島(とよしま)の漁業従事者と農業従事者における漬物語彙のうち、とくに複数の指示対象をもつ「コーコ(香々:「香の物」の女房詞とされる。大根を用いたものが代表的。)」という語に注目している。
 興味深いことに、豊島ではある漬物を「コーコ」と呼べるか否かに顕著な生業差が見られる。農業従事者は大根を用いたものしか「コーコ」であると認めない。また大根を使っていれば「コーコ」なのかというとそうではなく、調味料等によって判定に違いが見られる。他方漁業従事者は大根以外の野菜を用いていても「コーコ」と呼べるのだという。
 このような事実を踏まえて、「コーコ」の指示対象である漬物の典型性の認識(つまりその漬物の「コーコ」らしさ)にはどのような要素が影響し、またそれがどう形態的特徴に反映されているか、さらにその認識にはどのような生業・生活環境が関係しているか、といったことを研究している。このように文化・社会的側面と、衣食住や生業に関連する語彙との関係に注目する分野は「生活語彙論」と呼ばれる(室山敏昭, 1987参照)が、私はそこに「典型性」のような認知意味論的な観点を組み込もうとしているのである。これ以上の話は割愛するが、詳しくは10月に行われた日本方言研究会第117回研究発表会の発表資料をご覧いただきたい。https://www.jstage.jst.go.jp/article/hougen/117/0/117_9/_article/-char/ja/


つけもんのことは農家に聞け

 私は、漁師の方に対する調査が漬物語彙調査の最難関であると思う。かつて漁業が盛んな島の役所に電話をかけたところ「うちは漁師町なので漬物はあんまり漬けないし、特別な漬物はないと思いますよ…」とそれ以上話を聞いてもらえず電話を切られることが多々あった。また、調査中に「農家の方が漬物に詳しいから漬物は農家に聞け」というお叱りを受けたこともある。
先にも言った通り、重要なのは漬物文化が盛んであることでも、漬物に詳しいことでも、あるいはネーミングが特異であることでもない。実際農家の方に聞くと、漁師に比べて漬物の種類が豊富であるという違いはあるものの、名付けにそこまで差があるようには思えない。
この研究にはその地域のその生業における日常的な漬物の名前こそが重要なのであるが、そこが上手く伝えられなかった。自分の説明力不足を痛感した。

この漬物の名前は? ー いや普通に呼んでますけど・・・

上のやりとりで言われた「特別な呼び方」とは、例えば京都の「千枚漬け」や「柴漬け」のように動詞由来複合語の前部要素が材料名や調味料名以外のものだろうか。たしかに、一般的に料理名を指す名詞句の場合、「材料」「調味料」「調理法」の要素をこの順で表示するという大方の枠がある。そして材料を加工して産出されたそれぞれの料理は、特に固有の名前がなくてもこの枠に当てはめて呼ぶことができる。茄子と豚肉を味噌とみりん、酒などを合わせた調味液で炒め合わせれば、それは特別な名前を与えずとも「茄子と豚の味噌炒め」で良いのである。同様に、胡瓜を糠床に漬ければ「胡瓜の糠漬け」で茄子を糠床に漬ければ「茄子の糠漬け」である。なお、様々な理由によりこの3要素は表示されないことがある(例「らっきょう漬け」「白菜漬け」など)。
このような前提があるため、一つ一つの漬物の名前や呼び分けについても、材料名や調味料名が含まれる名詞句形式のものは「普通に呼んでいる」で終わり、となってしまうのだろう。命名や呼び分けと言ったって特に特徴も何もないよ、と。

「コーコらしさ」の認識

 しかし、その土地の人々にとって「普通の名前」だから意味がない、ということにはならない。例えば豊島の漁業従事者は「何でもかんでもコーコと呼ぶ。きゅうりを漬けたらきゅうりのコーコだし、もし玉ねぎをつけたとしたら玉ねぎのコーコだ。それだけ。」と仰ったが、ここにヒントがあった。よく聞くと、梅やらっきょうはコーコというかは微妙らしい。また、野菜の種類によって形態的要素に「コーコ」を含むかどうかが変わってくるようである。さらに葉物野菜は「コーコ」らしくない、という認識は漁業従事者に共通していた。名前の特殊さに拘らず、わかることがたくさんある。
「コーコ」のような複数の指示対象を包括する語がある場合、このカテゴリーに属する漬物を「コーコ」の一種として認めるか、認めるのであればどの程度「コーコ」らしいか/らしくないか、カテゴリーの上位語を形態的要素として許容するのはどんな場合か、というところに生活環境や生業環境の差が隠れている可能性がある。
「香の物」に由来する「コーコ」は「コーコー」「コンコ」「コンコン」など、多様な形式で西日本を中心に分布している。一般的には沢庵漬けの同義語として大根の漬物を指す場合が多いが、もし複数の指示対象が含まれている場合、何か面白いことが分かるかもしれない。





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