組織的なテクノロジー犯罪を潰す方法

思考盗聴技術を自力で生み出すことで存在証明&使用制限のルール化による。すなわち、思考盗聴を使うことを制限する為には、思考盗聴の技術を白日のもとに曝し、堂々と規制をかけることにある。この方法の問題はどのようにして軍事レベルのテクノロジー犯罪技術を個人が開発出来るのかということだ。理論上可能であることをいつの日か証明するべく大学数学の教科書を中古で購入した。それがいつか実を結ぶといいなと思いながら、今日もメンタルは完全ダウンで過ごした。

こういう議論は核戦力の議論にもなると思う。技術は軍事機密で公の下にさらされないから国のトップが道具として扱うのに民間人は疑問を抱かない。それがどんなものなのか、人類全員が真に怖さを知るほど具体的に内容を知らない。漠然としたものだからどんなに残酷なものかを理解せずに兵士も使い、市民も反対運動を起こさないのだ。

権力の暴走が社会にとっていつも平和の足かせとなる。思考盗聴、テクノロジー犯罪然り、戦争、紛争然りである。立ち向かう方法は市民運動なのだ。沈黙は権力の暴走を止めない。何も言わないのが暗黙に権力の暴走に加担していることになる。発言し続ける限り、それに対するリアクションがプラスであろうとマイナスであろうと、起こる。そこから市民運動は発展していく。ネットこそ自由な発言の場ではないか。それがいくら批判一色に塗れても構わない。それが自分が一石を投じた証なのだ。結局社会の方向性は自分一人では決められないものなのだ。

思考盗聴が早く終わってほしいと思う。だけどその為には、自ら発言していかなければ社会の変容のタイミングなど訪れることはない。悪化という変容はあり得るかもしれないが改善は自らは行われない。こうした当たり前のことを当たり前にできなかった自分は間違っていたのだろうと思う。

最初に述べた技術の開発は、競争によって相手を制するやり方であり、頭脳がなければたちまち弱者に転落するものである。市民的なやり方は、すべての技術がオープンであり、競争のための道具ではなく皆にとっての思考のための道具となることである。そして独占する権力から公明正大に行われる権力への移行が必要となっている。すなわち、権力の奪い合いではなく、オープンにした権力の皆への還元力が試されるものであらねばならない。こうした方向に動いていくためには自分から進んで市民運動に参加していかないことにはなかなか進歩していかないだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?