誤解されて成長するのは

誤解されても自分は成長する。
自分と自分についての情報を混同している?
自分は自分の力だけで自分であるわけではない。

他人にどう扱われるか含めて自分。
だから環境を変えたら自分も変わる。
自分を悪くする人とは距離を取る権利がある。

自分の魂は他人の誤解の集積。
だから誤解されても自分の意味、物語は成長する。
例えるなら帝国が飲み込んだ文化で染まる様な?

無理だ、こんな表現では説得力がない。
説得したいわけじゃない。
どうせ誤解されることに理論武装したいだけ。

ただ自分だけ騙せればそれでいい。
ならばどうして発表しようとするか?
一度どこまでも誤解されてみたくなった。

経験も知識も、感覚も価値観も違う他者。
誤解し合うのが当たり前。
人は論理や情緒が通じれば理解し合えるとか?

甘い、甘いので水が欲しい。
論理も情緒も、魂の素材。
物語の空間の一要素、断片に過ぎない。

氷山の一角。省略された表現の大きさによって
だれもが相手を誤解する。
理想論で権利を主張したって

人によっては逃げる力も無くし
サンドバッグになってる人もいるか。
永遠に続く痛みはない。

痛みが消えるか、痛みに慣れるか。
逃げる力が出てくるか、耐える力が出てくるか。
時間だけが答えを知る。

また間違える自分が居る。
優しくなりたいのに人を傷つける。
勝ちたいのに無価値が見えて捨てる褒章。

薄情な自覚も不親切な自覚も無責任な自覚もある。
そんな自分語りしなければいい。
自己愛と自己嫌悪だけが僕の全てか?

小説の一つも書けない。書けたらいいのに。
書いても書いても断片だ。
いつか複雑な物語を多声的に書きたい。

登場人物は総勢100人の群像劇。
コンパクトな方が速度も上がる。
好みが一致しない自分の二重人格?

垂れ流しの脳内、これしか僕にはない。
愛されたい訳でもないが、愛せないのが何故か悲しい。
心が騙る?語れない言葉が詰まってる。

連想で言葉を紡ぎ、論理が破綻してる感じか?
因果を時系列で並べるのも、空間で記憶を探るのも下手。
ただ思いついたことを脈絡なく並べるしか自分には書く術がない。

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