オフィスアワー振り返り

「うそつき」

チームの発表を一通り聞いた後の先生のコメント第一声が「詐欺っぽい論理」ということで、思い出した一言が小見出しだ。
10年くらい前にやっていた仕事のお客さんからのクレームで、人を介して言われたことだった。できるって言ったのにできない、対応するっていったのにやってくれない。そうなった経緯はいろいろあるけれども、お客様からしたら確かに嘘つきで、確かに自分自身も、どうやって調整するか(ごまかすか)というところばっかり考えていた。

アイデア大会をしてはいけない理由

一つ嘘を吐いたばっかりに、その嘘のためにまた重ねて嘘をつかなくてはいけない状況が生まれる、先生の経験でもそういうことがあったとお話してくださった。ビジネスモデルが詰まった時のアイデア大会というのは、結局そういう「つかざるを得ない嘘」みたいなものなのだろう。アイデア大会しないようにというのは、グループワークでも話に上がっていたが、リサーチについても同じだった。「ビジネスモデルの正当性を示す」が命題になってしまうと、リサーチも有効性の観点があやしくなる。
思えば、Xデザイン学校に行こうと思った契機になった社内の新規事業開発プログラムも、参加メンバ(偉い人)鶴の一声でビジネスモデルが決まったのをきっかけに、議論がどんどん細かいところに行って、成果物のページを埋める作業になってしまって「こんなビジネスデザインをしたかったんだっけ」と不完全燃焼になった。
今回、鶴の一声こそなかったものの、「最初に考えたビジネスモデルの筋」というところが揺らげば、結局論理として不安定になってしまう、というのを改めて感じた。
と同時にグループの方々への申し訳なさみたいなものも生まれた。
アイデアの着想はよかったはずなのに、その後の論理のまとめ方だったり、リサーチだったり、深い「インサイト」みたいなところにたどり着ききってないのは、「うそつき」な仕事をしてきた自分の癖が出ちゃったんじゃないのかな。と。

しがらみから抜けてビジネスを考えてみたかった

ここ数年、仕事でこれまでのステークホルダとは違う分野の人たちと関わることが増えたのもあって、「本意ではないが、諸々の都合でやらざるを得ない」仕事が増えた。他にもっといいパートナーいるんじゃないのか。自社開発にこだわらなくていいんじゃないのか。もっと議論するテーマあるんじゃないのか。でも、そこにはいったん蓋をして、求められるストーリーと材料を集める。関係者の合意が優先、説得してなんぼ。幸か不幸か、その場その場のPRはできていたようで、その部分の仕事は増えた。
でも、心のどっかで、「ほんとにこれ良いと思ってる?」というのは、あった。自分の会社の技術とか他との関係とかを一切抜いてみて、純粋にサービスデザインを学んでみたいと思った。そして挑んだこの10か月ではあって、本当にたくさんの気づきがあったのだけれど、最後「発表資料をまとめる」段で、いつもの仕事の癖が出てしまったなぁと思う。
オフィスアワーの最後に、先生に思わず聞いてしまった。どうしたら調査がうまくできるようになるのか。「一度、深いインサイトを見つけた経験があれば、もう戻れなくなる、やり方を学んでもだめ」
確かに、いくら方法を学んでも、体得しないとダメなんだろう。
バレエをやっている知人は、日常生活でも背筋がシャンとしていないと気持ち悪いらしい。
きっとそういうことで、途中、筋肉がついて姿勢ができるまでは、ひたすら地味な基礎の繰り返しで、つらいところもあるけれども、そうやって身に着けた姿勢はもう崩せないし、そこから生み出される表現だから美しいのだ。
私はまだ、それでいうとやっとトウシューズ履けるようになった、ぐらいなんだろう。
でも、ただむやみにやっても意味がないように、鏡を見たり細かくチェックしながら、自分なりの判断基準を研ぎ澄ませていくしかないんだろうなと思う。先生が何度もご自身の判断基準のお話をされていたのを、いまさらのように思い出した。

夢中になって仕事がしたい

人はゾーンを求めている、というのが、この日最後に聞いた話だった。
一度それを味わうと、何度もそこに向かいたくなる(手っ取り早いのはドラッグ)。
ここ半年くらい、仕事の環境を変えたいな、でも転職するにしても大胆な行動は難しいな、どうしようかなと悶々としていた。
転職サイトに登録してみたり、職務経歴書を書いてみたり、エージェントの人たちと話しながら、ふわっと湧いてきた気持ちがあった。
そうか、私は夢中になって一生懸命仕事がしたいんだ、と。小手先の技術で対処しておこうとか、とりあえずの疑問に蓋をしてとかじゃなくて、目の前の仕事にまっすぐに向き合いたいのだ、と。
それはこの10か月間、下手くそながら調査をして考えて、湧き上がってくる疑問があれば、また調べて内省して、そのプロセス自体がものすごく楽しかった体験だったことに起因しているように思う。
変な話、Xデザイン学校の課題をやっている時は、他の娯楽に対する欲求が下がって、やってもやってもつらくなくて楽しい、みたいな瞬間があった。
(私の場合、いろいろ退屈になるとすぐ散財する方向にいく)
大学生のとき、大学院に進む選択をした友人を見て、「研究」なんて何が面白いのかと思っていた時もあったが、いや調べるって楽しいぞ、と。
そう思っていたら、会社の方でも細々とやっていた自分の仕事が、急に風向きが変わって評価されるようになった現状もあって、転職をしないで何か違う働き方を模索するのもありなのかなぁと、迷っている。
ただ楽しくて好き、が仕事になるわけでもないというのもわかるので、悩む。(そもそも自分は何ができるのか)

最終回に向けて

発表まで、片手で数える日になってしまった。少しでもいいものにできるようにということで、ひたむきにやっていきたい。(がんばったから、誉められるわけではないけれども)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?