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劇団るのオキナワ・パラダイス

2024/3/16 土曜日
余談
・地元紙「沖縄タイムス」から、沖縄の芸人さん「ベンビ―」が東京へ!の話
・同じく地元紙「沖縄タイムス」から「沖展」のご案内!
詳しくは、ラジオトーク「オキナワ・パラダイス」をお聴きください。

*愛玩動物飼養管理士の資格を持つ「劇団さる」がお話してますよ。

ネコを知る


「ヤマネコからイエネコへ」
イエネコの直接の祖先は、野生のヤマネコである。
彼らが人との接点をもつまでを辿る。

イエネコの祖先は(リビアヤマネコ)
イエネコの英名は「ドメスティック・キャット」(Domestic cat)で、国際的な共通の学名は「フェリス・(シルヴェストリス・)カトゥス」という。フェリスとは「ネコ属」を意味する。

イエネコは、今もアフリカ北部一帯からアジア南西部にかけて生息している小型のヤマネコ「リビアヤマネコ」が家畜化されたものである。
このことは、2007年に1000匹近くのヤマネコとイエネコのDNAサンプルを集めて解析した遺伝子研究の結果によっても裏づけられている。

通説
猫が飼い慣らされるようになったのは、およそ3500年前の古代エジプトとされている。おもな根拠となるのは、猫が描かれた壁画である。
テーベの墓から出土した「湿原の野鳥狩り」と呼ばれる壁画は紀元前1400年ごろのもので、湿原で水鳥を狩る男性の傍らで、その様子を観察する猫が描かれている。

ただし猫の家畜化の歴史は、まだ不確かな部分もあり、例えば、遺骸などの外見的な特徴から、野生のヤマネコのものなのか、家畜化された猫なのかを判定することが難しいとされている。なぜなら、犬などの動物が品種改良による家畜化によって形態を変えていったのに対し、猫は野生種と比較しても特徴が大きく変わっていないからである。

ところが!

2004年に大きな発見があった。「フランス国立科学研究センター」の報告によれば、地中海東部に位置するキプロス島内の紀元前7500年ごろの墓から、人骨とともに埋葬された猫の骨が見つかったという。成人の墓から40cm離れた場所に小さな墓があり、生後8ヵ月の猫が同じ西を向いて埋められていた。

地中海の島々にはもともとヤマネコが生息していなかったため、人が愛玩用として船で持ち込んだものと推定されていたが、2004年の発見によって、9500年前には人にかわいがられていたことが確認された。

結果、家畜化の歴史は、これまで考えられていたよりも、約6000年近く遡ることになった。

ヤマネコは、自ら人のそばにやって来た!



野生のヤマネコは警戒心が強く、通常、単独で行動するため、人の命令に従わせて飼養することは困難だったでしょう。
ではなぜ?ヤマネコは人に飼われるようになったのか?

おそらくナイル川からペルシャ湾にかけて三日月形に広がる「肥沃な三日月地域」(パレスチナ,シリア,メソポタミアをつらねる農耕文明の成立地帯をいう。地中海からペルシャ湾にかけて。)において、人類が狩猟採集生活から農耕社会へと移行した時期が関係しているのではないかといわれている。

この地域では、約1万5000年前のハツカネズミの歯の化石が多数見つかっている。これは農耕社会へ移行する前から、人が採集し、わずかに貯蔵した食料をネズミが狙っていたことを意味する。その後、農耕社会への移行によって収穫された穀物などは、より多くのネズミを引き寄せたのでしょう。そしてこの地に生息する一部の(リビアヤマネコ)が、そうしたネズミや人の食べ残しを目当てに、人の近くで生活を始めたと考えられる。

つまり、品種改良などによって家畜化された動物とは異なり、ヤマネコは自ら人に近づいてきた。
野生と人の居住地では環境がまったく違い、リビアヤマネコのなかでも警戒心が比較的低く、人間に懐きやすい個体だけが、人との環境に適応していった。人を恐れない性質が子孫へと受け継がれながら、より人と近い距離で暮らすようになり、現在の(イエネコ)へと変わっていったのだと考えられる。

(イエネコ)の誕生時期ははっきりしていないが、(ヤマネコ)が人とかかわるようになってから(イエネコ)へと進化するまでには、数千年ほどの長い年月がかかっただろうとみられている。

著書「ペットの飼養管理 2022」公益社団法人 日本愛玩動物協会

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