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雨宿りのクロ 2

ボクが親兄弟からはぐれて一人ぼっちになり、偶然に見つけた縁の下で 
" 雨宿り " をした事がきっかけとなり、
蕎麦屋「こがねや」の一員となったのが
三年前の事。
初めはずっと縁の下にいて警戒する毎日。
一日に三回、京子おばちゃんがご飯を
持ってきてくれるんだけれども、やっぱり
警戒してしまって、ご飯を食べるのは
京子おばちゃんの姿が見えなくなってから
だったな。

おばちゃんはボクがちゃんと食べるか、
確認したくてずっと見ていたそうで…

あの頃はお互いのプライド、
意地と意地のぶつかり合いみたく
エサ箱を挟んでの睨み合い。

" さぁ、早くお食べ! " 

" 早くいなくなってくれないと食べられ
ないじゃないか! " 

" やっぱり身体が弱ってるのかネェ? " 

" 食べたいんだから早くいなくなってよ " 

" 食べさせた方がいいのかねェ? 
震えているものねェ "

" だ・か・ら、早く帰ってって!
もう、お腹が空きすぎて震えてきたよ! " 

って、どこかのスレ違い漫才みたいな
やりとりが続く毎日。

京子おばちゃんはボクが縁の下にいる事を
誰にも伝えたりはしなかったんだ。

理由?

それは京子おばちゃんに聞いてみないと
わからないよ。

でも後になって
「犬は人について猫は家につく。って
昔から言うし、ましてや迷い猫だから
あの子が環境に慣れるまで黙ってようと
思ってたんだよ。変にうるさくして、又
どこかに迷ったりしたら大変だろ?
特に都会は保健所やまわり近所がねぇ」
と京子おばちゃんは近くで甘味処を
やっている妹さんに話しているのを
聞いた事がある。

三年かかったけれど徐々に慣れていった
ボクは縁の下から店内への昇格となった。

暗かった縁の下時代(どんな時代だ?)に
京子おばちゃんには身体を触らせる事を
許してたボクだけど、おばちゃんの
息子さんのマー兄ちゃんや(もう一人
お兄さんがいるみたい)妹の洋子ちゃん
には、まだまだ気を許していなかった。

だけどそんな事はボクの取り越し苦労で
二人ともボクに優しくしてくれ、三年も
無駄にしたんじゃないかと思ったくらい。

京子おばちゃんに似てとても優しくて
温かい人達だったんだ。

そうそう、この店を始めたご主人。
京子おばちゃんの旦那さん。
ボクが縁の下に迷い込む少し前。
その年の夏の日に亡くなったと聞いた。
まだまだ暑さの残る八月の終わり頃の
事らしい。だから一時は

「お父さんの生まれ変わりだわ!」

なんて近所でも言われてた。
言われたボクは意味が分からず

" キョトン? " 

として、その顔がまた可愛いと評判(⁉)になり
お店の売り上げにずいぶんと貢献した
とかしないとか……

それほどまでに皆の優しい人柄が
出てくるお蕎麦だけじゃなく、
店内にも溢れている蕎麦屋

「こがねや」

ご近所の方は言うに及ばず、遠方の方が
噂を聞きつけやってくるんだ。
このお店の評判がいいホントの理由はネ、
ボクに会いに来てくれる!
ってのは冗談だけど、
実は京子おばちゃんに悩みを聞いて欲しくて
来る人が多いんだ。

元々世話好きなところもあり
あの人柄じゃない?

胸に刺さるみたいだよ、アドバイス。

話しに行こうか?「こがねや」へ。
                つづく



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