2024 元旦
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
主キリストの聖名の中に生かされる兄弟姉妹に、天の御国/神の支配が、ますます豊かに現れますように。
2024年元旦に思う御言葉はコチラ。
「あなたはあなたの神に会う備えをせよ」
キリストの裁きの座(ベーマ)に立つときは、独り。
@Ⅱコリント5:10 恊共訳
私たちは皆、キリストの裁きの座に出てすべてが明らかにされ、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行った仕業に応じて、報いを受けなければならないからです。
@ローマ14:9-12 協共訳
キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。
それなのに、なぜあなたは、きょうだいを裁くのですか。また、なぜ、きょうだいを軽んじるのですか。私たちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。
こう書いてあります。/「主は言われる。/『私は生きている。/すべての膝は、私の前にかがみ/すべての舌は、神をほめたたえる』と。」
それで、私たちは一人一人、自分のことについて神に申し開きすることになるのです。
@Ⅰコリント3:11-15
イエス・キリストというすでに据えられている土台のほかに、誰も他の土台を据えることはできないからです。
この土台の上に、誰かが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てるなら、
おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれが明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを試すからです。
誰かが建てた仕事が残れば、その人は報酬を受けますが、
燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐるようにして救われます。
留意点として、キリスト者が裁かれる「キリストの裁きの座」は、「霊の救い」には関りのないこと。
そこで裁かれる(審判また査定)される時点で、「霊の救い」は得ている。
「誰かが建てた仕事が残れば、その人は報酬を受けますが、燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐるようにして救われます。」とあるとおり。
大事なことは、聖書になんと書いてあるのか。
それをどう理解するのか。
そして、その理解に忠実であったかどうか。
それは、各自の自由。
そして自由には、責任が伴う。
神の前に、独り立つことを、改めて覚えませう。
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