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「天国」とは、なんぞや?

多くのクリスチャンが「天国」という言葉を使っています。

会話の中で、この言葉の意味をどう理解されているんだろう?
この言葉の定義はなんだ?と思わざるをえません。

キリスト教の「天国に行く」って。

天国=あの世、みたいな。

「極楽浄土に行く」とか。

そんな漠然とした「死後の世界」に似ている感じがしています。

この地を逃れて「天国」という「霊的な世界」に行くという思想は、新約聖書で警告されている「グノーシス主義」と同じような思想です。

人は、神の似姿を意図されて、神の形に、創造されています。
それは、霊・魂・体、という三部構造です。

クリスチャンは、天使、になることを期待されているのではありません。
人は、体を持ち、地上で生きるように、意図されています。


「天国」の由来

この言葉の由来は、おそらく「天の御国」でせう。

@マタイ4:17
【協共訳】
その時から、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
【新改訳2017】
この時からイエスは宣教を開始し、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われた。

*悔い改め:適訳は「思い改め」。
原語の「メタノイア」に「悔い」という感情的な意味はありません。


これは、天の王国、という意味。
そしてこれはマタイ伝がユダヤ人を対象読者として書かれており、そのユダヤ人は「神」という言葉に畏敬を持っており、「神」という言葉を使わなかったことによる、言葉の置き換え。

他の福音書では、神の国、とされている。

@マルコ1:15
【協共訳】
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」と言われた。
【新改訳2017】
 「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」


福音書で記述される「天の御国」と「神の国」は、同じ意味、同義です。
そして、王国、という言葉のギリシャ語バシレイアは、支配、統治、というのがもともとの意味だそうで。

「天の御国」「神の国」が意味するところは、神の支配、神の統治、です。

そしてこの、神の支配、神の統治、これは福音書の記述においては、イエスの弟子集団、が該当します。

新約の時代、つまり現代においては、エクレシアが該当します。
(「キリスト教の会」とイコールではありません)

そして、いずれイエスが肉体をもって地上に戻ってこられ、ご自身の王国をたてる、いわゆる「千年王国」時代が、該当します。

いずれも、この地上に現れる神の支配、です。

「パラダイス」の誤解

「パラダイス」という言葉があります。
これも一般的には「天国」と訳されるので、誤解を生じます。
本来は「理想郷」や「楽園」という意味です。

新改訳系は「パラダイス」、共同訳系は「楽園」と翻訳しています。

@ルカ 23:43
【協共訳】
するとイエスは、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。
【新改訳2017】
イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

この時点での「パラダイス」「楽園」は、聖書の世界観では、死者の行く「よみ」の、安全な場所です。
「アブラハムのふところ」と呼ばれているところです。

@ルカ16:22ー26 協共訳
ルカ 16:22 やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによってアブラハムの懐に連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。
ルカ 16:23 そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、アブラハムとその懐にいるラザロとが、はるかかなたに見えた。
ルカ 16:24 そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、私を憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、私の舌を冷やさせてください。この炎の中で苦しくてたまりません。』
ルカ 16:25 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出すがよい。お前は生きている間に良いものを受け、ラザロのほうは悪いものを受けた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。
ルカ 16:26 そればかりか、私たちとお前たちの間には大きな淵が設けられ、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこから私たちの方に越えて来ることもできない。』


イエス・キリストの復活と昇天の後、この「パラダイス」「楽園」は、天上に移動しています。

@Ⅱコリント12:1-4
【協共訳】
2コリ 12:1 私は誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主の幻と啓示とについて語りましょう。
2コリ 12:2 私は、キリストにある一人の人を知っています。その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体の外に出てかは知りません。神がご存じです。
2コリ 12:3 私はそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。
2コリ 12:4 その人は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を聞いたのです。
【新改訳2017】
12:1 私は誇らずにはいられません。誇っても無益ですが、主の幻と啓示の話に入りましょう。
12:2 私はキリストにある一人の人を知っています。この人は十四年前に、第三の天にまで引き上げられました。肉体のままであったのか、私は知りません。肉体を離れてであったのか、それも知りません。神がご存じです。
12:3 私はこのような人を知っています。肉体のままであったのか、肉体を離れてであったのか、私は知りません。神がご存じです。
12:4 彼はパラダイスに引き上げられて、言い表すこともできない、人間が語ることを許されていないことばを聞きました。


この「パラダイス」「楽園」は、キリスト者の死後に行くところです。
パウロさんは、死ぬことは益だ、世を去ってキリストと共にいたい、と切望しておられます。

@ピリピ1:21-24 協共訳
フィリ 1:21 私にとって、生きることはキリストであり、死ぬことは益なのです。
フィリ 1:22 けれども、肉において生き続けることで、実りある働きができるのなら、どちらを選んだらよいか、私には分かりません。
フィリ 1:23 この二つのことの間で、板挟みの状態です。私の切なる願いは、世を去って、キリストと共にいることであり、実は、このほうがはるかに望ましい。
フィリ 1:24 しかし、肉にとどまるほうが、あなたがたのためにはもっと必要です。

啓示録では、殉教者たちが天上にいる様子が記述されています。

@啓示録6:9-11 協共訳
黙 6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神の言葉のゆえに、また、自分たちが立てた証しのゆえに殺された人々の魂を、祭壇の下に見た。
黙 6:10 彼らは大声でこう叫んだ。「聖なるまことの主よ、あなたはいつまで裁きを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」
黙 6:11 すると、彼らの一人一人に白い衣が与えられ、それから、「あなたがたと同じように殺されようとしているきょうだいであり、同じ僕である者の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように」と告げられた。


大事なことは「パラダイス」「楽園」は、一時待機の休憩所、ということ。
啓示録で「休んでいるように」と言われるように、お休み、です。


また、携挙の際には、死んでいたキリスト者は復活し、生きているキリスト者はそのまま上げられ、新しい体を着せられ、天にあげられます。

@Ⅰテサロニケ4:15-18 恊共訳
1テサ 4:15 主の言葉によって言います。主が来られる時まで生き残る私たちが、眠りに就いた人たちより先になることは、決してありません。
1テサ 4:16 すなわち、合図の号令と、大天使の声と、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストにあって死んだ人たちがまず復活し、
1テサ 4:17 続いて生き残っている私たちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に出会います。こうして、私たちはいつまでも主と共にいることになります。
1テサ 4:18 ですから、これらの言葉をもって互いに慰め合いなさい。


@Ⅰコリント15:51-53 協共訳
1コリ 15:51 ここで、あなたがたに秘義を告げましょう。私たち皆が眠りに就くわけではありません。しかし、私たちは皆、変えられます。
1コリ 15:52 終わりのラッパの響きとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴り響くと、死者は朽ちない者に復活し、私たちは変えられます。
1コリ 15:53 この朽ちるものは朽ちないものを着、この死ぬべきものは死なないものを必ず着ることになるからです。


キリスト者が、天上にあげられる、ということは間違いありません。
ですが、その後、地上に戻ります。


@啓示録19:11ー14 協共訳
黙 19:11 それから、私は天が開かれているのを見た。すると、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「忠実」および「真実」と呼ばれ、正義をもって裁き、また戦われる。
黙 19:12 その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠を戴き、この方には、自分のほかは誰も知らない名が記されていた。
黙 19:13 この方は血染めの衣を身にまとい、その名は「神の言葉」と呼ばれた。
黙 19:14 そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い上質の亜麻布を身にまとい、この方に従っていた。


この、天の軍勢、は携挙されたキリスト者です。
そして、艱難時代に殉教したキリスト者と、「千年王国」でキリストと共に支配します。

聖書協会・共同訳 ヨハネの黙示録 [20]章
黙 20:4 また私は、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。また私は、イエスの証しと神の言葉のゆえに首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣も獣の像も拝まず、額や手に刻印を受けなかった。彼らは生き返り、キリストと共に千年の間支配した。

これは、地上でのことです。
「パラダイス」「楽園」に、永住するわけではありません。


死んだペットは天国にいますか?

「天国」の誤解、その結果として「死んだペットは天国にいますか?」
という質問がされるとか。
ペットに愛着があるのでせう、お優しい方なのでせう。

で、それに「いると思います」と答えるボクシがいるとかいないとか。
クリスチャンのペットは天国にいる?
「パラダイス」「楽園」に、死んだペットが復活している?
聖書のどこに、そんな記述があるのでせうか?

「千年王国」には、動物がいます。
この時間の延長なので、当たり前のお話。
でも、土に還った動物は、そのままです。

思い込みや執着は、迷信へのきっかけになりえます。
聖書をどのように読解するのか、どう信じるかは、各人の自由であり、各人の責任です。


キリスト者は天にあり地に生きる存在

イエスは福音書の時代、いわゆる初臨の際に、人として地上に生きながら、同時に天上にもおられました。

ヨハネ3:13
【KJV】
And no man hath ascended up to heaven, but he that came down from heaven, even the Son of man which is in heaven.
<DeepL翻訳>
天から降って来られた方、すなわち天におられる人の子以外に、天に昇った者はいない。
【望月訳】
また天から下った者、人の子、天にある者のほかに、天に上ったものはいない。


そして、キリスト者は、キリストの体、キリストの肢体、彼の肉であり、彼の骨です。

@エペソ5:30 
【KJV】
For we are members of his body, of his flesh, and of his bones.
<DeepL翻訳>
私たちは彼の体の一部であり、彼の肉であり、彼の骨なのだから。
【望月訳】
私たちは彼のからだの肢体である。彼の肉であり、また骨である。


それゆえ同じように、キリスト者は、地に生きながら、天にあるものとされています。

@エペソ2:6 恊共訳
エフェ 2:4 しかし、神は憐れみ深く、私たちを愛された大いなる愛によって、
エフェ 2:5 過ちのうちに死んでいた私たちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――、
エフェ 2:6 キリスト・イエスにおいて、共に復活させ、共に天上で座に着かせてくださいました。


キリスト者は、霊にあってはキリストと「ひとつ」。
彼の内にあって、すでに天にある存在。
そしてキリストは、キリスト者の内に内住しておられ、キリスト者によって地上に生きておられる存在。

@Ⅰヨハネ4:13-15 協共訳
1ヨハ 4:13 神は私たちにご自分の霊を分け与えてくださいました。これによって、私たちが神の内にとどまり、神が私たちの内にとどまってくださることが分かります。
1ヨハ 4:14 私たちはまた、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています。
1ヨハ 4:15 誰でも、イエスを神の子と告白すれば、その人の内に神はとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。

*告白:適役は「同証」。同じことを語る。


@聖書協会・共同訳 ローマの信徒への手紙 [8]章
ロマ 8:14 神の霊に導かれる者は、誰でも神の子なのです。
ロマ 8:15 あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、子としてくださる霊を受けたのです。この霊によって私たちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。
ロマ 8:16 この霊こそが、私たちが神の子どもであることを、私たちの霊と一緒に証ししてくださいます。


以上のことから。

キリスト者とは。

今、ここで、天国に生きる存在、なのです。


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