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ジョンが最後に愛した人は? 映画『ジョン・レノン 失われた週末』鑑賞

アーティストのドキュメンタリーが好きです。
たとえ製作者側が主観的かつ観客にある一定の印象を与えようと意図したものであっても。
人間には誰にでも実像と虚像があります。
見方を変えれば実像と虚像はウラオモテ。

ジョン・レノンもそう。
1973年秋頃から1975年の年明け頃までレノンと行動を共にした個人秘書のメイ・パン。どうやらジョンと当時ギクシャクした関係だったオノ・ヨーコが「あなた、彼と付き合いな(そんな軽い感じではなかったかもだが)」とメイ・パンをあてがったそうな。
元々彼女がビートルズのファンであったにしても「ハイ?今何て?なぜ私があなたの夫さんと?」と思うのは至極当然ですわな。
ま、ジョン&ヨーコといえば風変わりなアーティストのイメージそのもの。
初めは嫌がっていたメイちゃんもジョンの方からアプローチされて瞬く間に恋に落ちます。
この映画は現在のメイ・パンが当時を回想する彼女の物語とのこと。
彼女にとっては真実を告白する内容らしいのですが、さてどうなんでしょう。


まず、ジョンはなぜメイ・パンという東洋のお顔をした一見冴えない(失礼)秘書に惹かれたのか。
映画を観て私なりに感じたのは、彼女、決して美人ではないのですが笑顔がすこぶるキュートなんですよ。すこぶるチャーミング。じーっと眺めているといとうあさこさんに見えてきた笑あさこさんも笑顔がキュートでチャーミングよ。
なんか人の心を明るく、愉快にさせるような笑顔。そして聡明。20代初め。だから若くてピチピチ。それは事実だからしょうがない。


ヨーコは正反対といいますか、見た目もお顔は彫りが深く非常にアーティスティックでオーラがある分、人に緊張感を与えるような。ジョンに多大な影響を与えつつ二人だけの世界を築いてしまってなんか排他的・閉鎖的なイメージ。


メイ・パンにはあってヨーコにはないもの。
音楽の知識も相当あったようですが特に“愛嬌”と”コミュニケーション能力”じゃないかなあ。
ジョンと疎遠だったシンシア&ジュリアン親子やポール・マッカートニー等を引き合わせたように。しかし実際のところ真実はわかりませんよ。
ヨーコ側からしたらメイは”敵の敵は味方”とばかり自分の印象を良くしようとした、と思うでしょう。あるいは自分より秘書が仲を取り持つ方が相手も交渉しやすいだろうとヨーコが裏で秘策していたから等。あくまでも勝手な私の妄想ですのでお気になさらず。
本当の真実はわかりません。
真実を知るジョン本人はもういないし。

だけどね、、メイちゃんといる時のジョン様、アーティストとしてではなく”一人のフツーの男”としてすっごくいい表情してるんだもん。表舞台に立たなくても十分稼いだし、レコーディングだけしてても新たな音源だけ発表してくれたらいいじゃん。なんて私はにわかファンでしょうか?


プライベートでは酒乱、ドラッグ、女遊び、暴力と本当にロクデモナイ人なんだけどひとときでも人生の安らぎを感じさせたのがメイ・パンと共に過ごした“失われた週末”の時期なんじゃないのかなあ。
本当の真実はわかりませんけれども。

ジュリアンと遊ぶジョンのパパぶりを初めて観て、そういえば『Hey,Jude』ってポールが父に捨てられたジュリアンに向けて書かれた曲だよな、ヨーコとの息子のショーンにしか愛情沸かなかったんやな、と思っていたけれど映画の中の二人はやっと会えた喜びに満ち溢れていて。

さては?
”ジョンは子煩悩、ということは。彼の心を引き留めるには私達の子供を作るしかない!”とジョンの誕生日にわざと息子を産んだんじゃないのか、ヨーコよ?と私はすっかりこの映画の戦略?にまんまとハマり、

メイ・パン=ジョンの最後で最愛の人
オノ・ヨーコ=ジョンの鬼嫁、絶対的支配者

という誤っている”かも”しれない印象を植え付けられました、、。
メイ・パンいわく、ジョンとヨーコが元さやに戻った後も時折逢瀬は続いており、いつか一緒に暮らそうと話していた矢先にジョンは銃殺されたとか。


本当の真実はわかりませんよ。
だってジョンはもうこの世にはいないんですもの。
メイ自身は真実をこの世に出してくれてありがとう、と映画の製作に携わった友人に語っております。


ま、どちらにせよ。ジョンは非常に才能のある優れたアーティストであったと同時に女性たちがほっとけない非常に魅力的な男であったことには間違いないのです。




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