見出し画像

『合田佐和子展 帰る途もつもりもない』鑑賞

三鷹駅前のCORALという商業施設内にある三鷹市美術ギャラリーにて開催の美術家・合田佐和子さん(1940~2016)の展示会に行って来ました。

今回の展示会のリーフレットによると、幼少期から制作していた「オブジェ人形」で作家活動をスタート。
かなり個性的で奇怪かつエロティックな作風で1969年以降は唐十郎や寺山修司主宰のアングラ演劇の舞台美術やポスター原画の制作、70年代はマレーネ・ディートリッヒ等の往年の銀幕俳優達のポートレートの油彩画等で注目されました。

1980年代にエジプトでの長期滞在を機に90年代以降は一転して明るいパステル調の作風へと変貌します。
合田さんは演劇、映画、音楽などあらゆるジャンルの芸術に高い親和性を示し、様々な表現者から熱く支持されました。
一方で同年代の美術動向や批評の言説からは距離をとり美術の「正史」から外れた存在であったため、あくまで個人的・趣味的なものとして見なされる側面がありました。
今回は没後初となる大回顧展だそう。

回顧展のサブタイトル“帰る途もつもりもない”は合田さんの晩年の手稿から。


“喜びの樹の実の
たわわにみのるあの街角で
出会った私たち
もう帰る途も
つもりもなかった”


撮影不可のためリーフレットから転載。
上記の油彩画は『もの思うベロニカ』(1972年)。
下記に作品の一部を。

『ワニ』(1974年)
ユーモラスな可愛さ


『シリウスの小包み』(1999年)
パステル調の優美な作品


オブジェは女体の裸像やワイヤー、スケルトンボックス等をモチーフに制作されたものや合田さんが幼少から興味を持ち続けていた注射器や試験管等の科学実験器具を用いたものなど奇想天外な発想とデザインのもつ独特の怪しさに目が離せず、思わず時間を忘れて見入ってしまいました。

アングラ演劇のポスター原画は唐十郎、三島由紀夫等の独自の世界観を見事に表現したおどろおどろしい雰囲気。あまりのリアルさと強烈なインパクトに夢に現れ出てきそうでした。

ポートレートの油彩画は特に女優のマレーネ・ディートリッヒを数多く描いていらっしゃるのですが合田さん自身ディートリヒ自体はあまりお好きではなく、彼女を女優としてでなくあくまで一つの被写体として興味があった、と言説されていました。


自宅での合田さん(1975年撮影)


回顧展の会場出入口近くは二人目の彫刻家の夫との次女であるアーティスト・合田ノブヨさんが、お母様の思い出のフォトグラフを元に当時の様子を語るスクリーンフィルムが上映されていました。

ノブヨさんによると合田さんは敬愛していた画家・詩人・美術評論家の瀧口修造以外にタモリや赤塚不二夫らが通うバー等に通うなどいろんなジャンルの方と人脈を広げていたそうです。
ルー・リードの大ファンで彼の日本版ベストヒットアルバムのジャケットの肖像画スケッチを手掛けたり、それがきっかけでミュージシャンのインタビューを担当することもあったそう(表紙デザインに携わった1976年創刊の「ロックマガジン」も数冊展示されていました)。

長期滞在したエジプトでは当時まだ幼い二人の娘さんを同伴し生活した合田さん。
怪しい雰囲気の作風が多かった合田さんでしたが、ノブヨさんが小さい頃制作中じゃれて邪魔をすると「おー耽美耽美」といって仕事を続け、あっけらかんとして明るいお母さんだった、と語っています。

それでも作品の制作に夢中になるあまり精神に異常をきたしたり神のお告げからインスピレーションを受けて生み出した作品があったり。一時的に片目を失明して十分目が見えていないまま独りでに手が動くまま描く「オートマティスム」(自動筆記)なるドローイング作品を残したり。

作品の多くは劇作家の脳内のアイディアを具体的にポスターで体現したり、銀幕スターのポートレートの油彩画(独学。元々水彩画からスタート)だから、とたかが絵が上手い器用な主婦の趣味だと思われていたのであればそれは間違いではないかと感じます。

絵やオブジェ、写真等でリアリズムやシュルレアリズムといった概念をすべて体現しあらゆる表現の可能性を広げ、幼少期から一貫して退廃的かつキッチュでありながら“ただ作りたいから作った”といえるような純粋な欲望に駆り立てられた合田さんの精神が垣間見れます。
晩年には本来好きで始めた絵を初心に還って描いてみようとパステル調が多くなったのも必然的だったのかなと思います。

チケットのビジュアルの一部


会場における作品や資料等合わせて300点以上(!)もの展示を目の当たりにし、生涯に数多い作品を生み出した稀有な才能の合田佐和子さんの情熱に終始圧倒された濃厚な時間を過ごしました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?