その2(パトロンが付いた派手な私の日常)

前述した男は、その後旧帝大に進学、卒業後にアメリカで暮らした後に議員秘書になった。

私の高校は進学校ではない。
彼はわざと入学してきたのだ。
「この学校から旧帝大に進学出来る奴は後にも先にも俺しか居ない」と。

一方、私は彼が言うところの「レベルの低い大学」へ進学した。
私はここで劇的に変わった。
ヴィヴィアンやギャルソン、もしくはライダース、スカル柄のネクタイにウォレットチェーンという派手な服装を好んだ。
髪は真っ赤、イギリス産の煙草をよく喫っていた。
夏休みに故郷の同級生との飲み会に出席したが、派手な格好の私を一瞥するなり騒ぎ始めた。
渋谷でカナダ人のカップルから「アナタのクールな格好を写真に撮りたい」と言われたり、本屋で見知らぬ男から「握手して下さい」等と言われたりした。

土曜昼に真っ先に帰宅して課題をこなすと、夜はギャルの後輩とクラブで踊る。
同じ熱量でよしもとの劇場に行って笑い、昼は海外文学を読み、夜はジャズを聴いて過ごした。
オーデンの詩とお笑いとウェス・モンゴメリ。
それらは私の中で等しく愛してきたものだ。

フランス語の塾にも通っており、小さなフランス料理屋でバイトをしていた。
そこに、とある人がやってきた。
聞けばシェフの知り合いで、某グルメ雑誌に載ったこともある料理人だという。
私は直ぐ様その人に気に入られ、「アクセサリー」として寵愛されることになる。

「僕と食事に行くにはきちんとしたドレスコードを守らなくてはね」と言い、数十万のセットアップを私に買い与えた。
金払いの良い客の登場に、気づけば店員がぞろぞろと集まって彼を褒めそやす。
「この娘はお酒が好きでね、ヘネシーのVSOPも買ってあげようと思うんだ」と集った店員たちに話すとまた歓声が上がった。

男は会う度に花束をくれ、私が無くしものをしたと言えば「同じ物を買ってあげよう」と事もなげに言った。
代官山を中心にフレンチを食べ歩き、正直「飽きた」とさえ思った。
同級生からは勿論嫉妬も受けたが、彼氏とのデートに私のセットアップを借りたいと申し出る子もいて、不思議な話だが友達と縁が切れることは無かった。

他にも様々な男達と出会いがあり、随分好かれた。
「ビリヤードで僕が勝ったら付き合って欲しい」等という男がいたが、気にいらなくてビリヤードでコテンパンに負かしたこともある。
Tシャツでラフな格好をしてきた男は、私を見るなり「こんな格好で申し訳無い」と謝られた。
星の輝きが概ね同じであるように、皆、一様につまらなかった。

ところで、パトロンの料理人は芸能人とも繋がりがあった。
「いつか紹介してあげるね」と言われたが、その芸能人は数年後に不祥事で捕まっていた。

享楽的、もしくはバカみたいな密度の泡沫の日々。






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