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自分の感覚を知った話

最近、いいこと日記をつけ始めた。
昨年末にやりたいことをピックアップしたのだが、その時に選択肢に挙げたものの1つであったことがきっかけである。
友達にも「これをやろうと思うよ〜」などと話していたこともあり、三日坊主の常習犯である自分にしては、なかなか続けられている方である。

1日、寝る前にその日あった「いいこと」を10個、手帳に書く。ただこれだけなのだけれども、これがなかなか難しい。
5個くらいまではすんなりと書けるのだけれども、7個あたりから手が止まることはしばしば。1日を何度も思い返し、絞り出すようにして書いている。
その甲斐あってか、日に日に手帳に向き合う時間が短くなってきているのを感じる今日この頃だ。

さて、この習慣をつけ始めてからふと気づいたことがある。

私、食べ物のことばっか書いているな?

気づいてから見返してみると必ず2個は書いている。多い時には5個書いていた。
半分は多すぎるって。なんで書いている時に気づかないんだろう、私は?
しかもダイエットしているというのにこの有様である。
いや、食欲強すぎませんか。1人しかいない空間だというのに、自分で自分に敬語で突っ込んでしまったくらいには驚いた。

元々、食べ物は好きな自覚はあった。人と比べれば食べる方でもある。
好きなものは多く、嫌いなものは少ない、と思う。
しかしこうして数字で客観的に示されると、思った以上に食欲は私の中で強い欲求なんだなぁと思い知った。嬉しいことの2割以上は食べ物なんだなぁ私……
まぁ自分が手っ取り早く幸せになる方法に気づいたとも言えるので、これはこれで良いことでもあるのだが、なんとなく複雑な気持ちである。

さて、いいこと日記を始めてもう1つ、大きくよかったと思えたことがある。
今まであまり「いい」と思ったことのないことを「いいものだ」と気付けるようになったことだ。

細々としたことは数多くあるが、1番そう感じたのは青空を見て「綺麗だ、いいことと日記に書こう」と思った時のこと。
自分の思考に、「ただの青空でもいいこと日記に書こうと思うくらい私にとってはいいことだったんだ」と認識した。
再認識、というより初めて知ったという感覚だった。

その日の青空は雲一つなく、冬の澄んだ空気の中で抜けるような薄水色が大きく広がっていた。また、空を背景にして遠くに見える街路樹の葉の深い緑色とのコントラストが綺麗で、その風景にじんと胸を打たれる感覚がしたものだ。

しかし、その青空を見た場所は通勤経路だった。きっとそういう空は初めてではなくて、何度も見る機会はあったと思う。実際に目に入れたことだってあったはずだ。何一つ覚えていないのは、目に入っていてもそれに気づかず、ずっとスルーしていたのだろう。

気づいていないだけで、いいことはいつもの日常の中にある。
こういったことはよく耳にする機会があったが「そうかなぁ?」と昨年までの私は疑っていた。
実際に感じて初めて、「なるほど確かに……」と納得するに至った。
この実感が、いいこと日記を通して得た1番の収穫だと今は思う。

今後、続けていくことでいろんなことを「いい」と認識できるかも知れない。世界が広がるような感覚に、ワクワクを感じている自分がいる。

……そして、こんないいこと風なことを書いておきながら、3ヶ月後には投げ出している自分が居そうで恐ろしさも同時に感じている。


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