【短いお話】pale
きっかけは本当にくだらないかもしれない。
隣の席にちょっと気になる綺麗な女の子がいたってだけなんだ。
その子とはたまに話すくらいなんだけど、その時間が新鮮でたまらない。
あまり意識はしていなかったけど、話を重ねていくうちに気になっていった。
その子は休み時間になると1人で本を読んでいたり、クラスメイトの子と話していたりする。
ちょっと大人しめの綺麗な彼女。
ー3限目の国語の授業。
内容は辞典を使うパートだが、辞典を忘れてしまった。
頭ではしっかり忘れた事を認識してるのに、こういう時は焦って意味のない事をしてしまう。
慌てている僕はもしかしたらあるかもしれないと考えたのか、なぜかバックを漁ろうと机の横に手を伸ばす。
でもバッグの中身は大量の教科書やノートで重く、バッグ持ち手の片方を指から離してしまい、口から真っ逆さまに落としてしまう。
しかも口が開いてたので中身の弁当、財布なども辺りに散らかしてしまった。
余計に取り乱してしまった僕はただあわあわしていた。
散らかったバッグの中身を取ろうとかがむと彼女が先にかがんで教科書を集めてくれる。
その時チラッと見えた彼女の口元が潤んできらりと輝いた。
僕は少し心臓がドキっとして、惚けてしまった。
こんなにも女の子の唇に心を動かされた事があったろうか。
かつての恋した気持ちが色褪せるような目の前の光景があるのに、意識は桜が咲く風景に溶け込んでいく。
「大丈夫?どうしたの?」と彼女に訊かれ、我に帰る。
現実に戻り、再び慌ててしまう。
「あ、えっ、その、ごめん…ありがとう、ございます。」
彼女は微笑んで、「はいこれ。もしかして、国語辞典忘れちゃったの?」と僕に言う。
「うん、忘れてしまって。」と正直に返す。
「そっか。じゃあ、一緒に見ようよ。」と変わらず微笑みながら自分の机を僕の机に寄せてくる。
少し戸惑った。
隣の彼女が僕に、僕のために、僕だけに、善意を施してくれる。
「え、ありがとう…。」と感謝を述べる。
「いいの。お互い様よね。」と返してくれた。
一緒に同じ本を見ながら、至近距離にいる。
僕はもどかしい。
単なる善意だけでなく、髪から、服から、花のような石鹸の香りがする。
きっと顔が赤いだろう。
僕はこんなにも彼女の存在に意識してしまうことがあったろうか。
忘れ物をした罪悪感と彼女の善意による至福の感覚がもつれ合い、もどかしい。
気づいたら授業が終わっている。
内容は全く頭に入ってこなかった。
また彼女に「ありがとう。」と言う。
「どう、って事ないよ。お互い様ね。」と返す。
こうして彼女は机を元に戻し、クラスメイトに呼ばれて教室を出て行く。
その後はいつも通りの日常で、少し眠くなってしまったのか、5限と6限は眠ってしまった。
ー放課後、退校。
テニス部の練習を終え、ロッカーを開きローファーを取り出そうとする。
気配を感じ、左隣に視線を向けると、隣の彼女が声を掛ける。
「おつかれ。今から帰るの?」
「うん。部活終わったからね。」と返すと、
「そうなんだ。いつもより早いね。」と続けてくる。
また彼女が微笑んでくる。
3限目の事を思い出し、僕はまた少し動揺してしまった。
「う、うん。今日は両親が結婚記念日で、僕が家事をする日だから。」
「あ、そうなの?じゃあ料理とかもするんだ。」
「今日はね。チビたちが喜んでくれるかどうか、心配だけど。」
そう言いながら並んで校門へ向かう。
何気ない日常を、この子と話しながら。
普段は教室でたまにしか話さないのに、今日は沢山話してて、しかも一緒に歩いている。
特別ってこういうことを言うのだろうか。
やがて校門の前に着くと、一度立ち止まる。
「じゃあ、わたしこっちだから。」
と彼女が逆方向に向かう。
「それじゃあ。」
彼女は帰路へ振り向き、歩を進める。
「あのさ、
今日はありがとう!」
彼女はこちらに振り向き、ニッと笑う。
「うん!また明日ね!」
もう一度帰路へ振り向き、遠ざかる。
夕日に照らされた彼女の口元は、あの時よりもより一層輝いていた。
今日という日を忘れない。
いや、今日から僕の日々は、より一層輝いていくのだろう。
僕も帰ろう。
夕食は焼きそばとポテトサラダにしようか。
終
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