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Hだいすき

高校生活の一大イベントと言えば修学旅行を挙げる人は多いのではないか。

そして修学旅行と言えば夜ふかしして友達と恋バナをするのが定番だろう。

だがうちはゴリゴリの中高一貫男子校。
およそ一般的な修学旅行とはかけ離れたドーテーのドーテーによるドーテーの為の修学旅行である。
もう25年前になるがちょうど6月に行った北海道旅行について綴りたい。


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まず最初のトラブルは行きのフライトで起こった。

千歳空港に到着するも何故かすぐに移動せず待機が続く。

「これ何の時間なん?」

ざわつく我々に神妙な面持ちのH先生が告げる。

「大変残念なお知らせがあります。
うちの生徒が添乗員さん(CAさん)のお尻を触ったという報告がありました。
生徒に確認したところ、確かに触ったということで彼らには帰ってもらわないといけません。」

何気に人生初めてのフライトでガチ緊張していた私。
その近くでそんな行為が行われていたとは。

生徒3名と付き添いの先生1名(まじ可哀想)が、北の大地の滞在1時間で帰還するという波乱の幕開けだ。

最初こそ場は荒れたが、その後は阿寒湖でマリモのキーホルダーを買ったり、富良野で田中邦衛になってキツネを呼んでみたり、知床遊覧船でタイタニックごっこしたり、と平和な時間が流れる。

そんな均衡を破ったのは同じ部屋で宿泊していたI氏だった。
I氏は愛読書が司馬遼太郎と四季報という尖ったタイプであまり冗談も通じない天然男子。
ここぞという時にオモローをくれる貴重な人財だ。

そんなI氏が頬を紅潮させて我々班員に告げる。

「さっきコンビニで雑誌買ってん」


ははーん、こいつは実家ではハードルが高いからって旅先でエロ本を調達したな。
とは言え班行動の貴重な自由時間をエロ本調達に充てるとはなんて計画犯!いや、知能犯!!


その場にいるI氏以外の4名全員が期待の目で雑誌を見た。








『週刊ザテレビジョン』の文字と男性アイドルの笑顔。


「いや、なんでやねん!」


全員で総ツッコミ。2人くらいは頭をしばく勢いだったと思う。


そんな我々にI氏は眼光鋭く冷静に返す。


「違うねん、これ見てや。」


彼が指差すのはテレビ欄。そりゃそうだ。ザテレビジョンだもの。テレビ番組が載ってるのよ、知らなかった?Iクン?


そんなI氏の指先にはその日の深夜のある番組名が。



『Hだいすき』



なにこのストレートなタイトル!
ドーテー高校生なら軽く100人はぶっ倒せるくらいのパワーワードですやん❤️


我々はI氏の偉業を讃え、その日の夜は静かにその時間を待つことを堅く誓うのだった。



そして迎えたその日の深夜。



テンション上がって騒いだバカ共が先生に怒られている声が聞こえる。


だが我々5人は一致団結。静かにその時を待つのだ。


誰も一言も発しないが、その表情は皆一様に興奮と期待で満たされている。






時間だ。



これだけは決めていた。I氏がリモコンの操作権を握っている。





そして始まった番組のタイトルコール







「北海道大好き!」





#それやったんかーい




その後I氏は雪印パーラーでエルソンブレロとかいう馬鹿でかいパフェを無邪気に頬張りそれ以降あだ名が「エルソン」になった。

修学旅行の思い出ってこの辺りしかなくて、肝心の北海道の記憶が無い。

その後10回近く北海道には通って 今ではすっかりH大好きなマイトンである。


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実はこの時のH先生。そう、冒頭でCAさんの話を伝えてくれた先生。彼は中学の修学旅行でも一度吠えている。


中学は九州へフェリーで行ったのだが帰りの船でH先生は吠えた。

あまりにも我々がうるさすぎて、他のお客様の迷惑になるからと防火扉が閉められる事態になったらしい。

夜中に全員呼び出され、H先生は泣きながら我々がいかに不甲斐ないかを教えてくれた。

先生が目の前で泣くなんて初めてだったので、それはかなりインパクトがあって その後我々は実に静かに帰途に着くことができた。



後日談として、その時H先生はかなり酔っ払っていて、ちょっと感情のスイッチが壊れていたらしいと聞いたが、普段教壇に立つH先生はとてもアツイ先生で私は大好きだった。


卒業後も風の噂で、H先生が吠えた話を聞く。

学校にゲーム機を持ってきた生徒に激昂し、カバンを思い切り蹴ったら中に入ってたゲームが壊れたという。
その後親からクレームが来て相当謝ったらしい。
そんなエピソードを聞くたびに、あぁ、元気にやってるなぁH先生、なんて嬉しくなったものである。



それが5年ほど前だろうか。久しぶりに同級生でオンライン飲み会をしていた時、1人がポツリと言った。



H先生亡くなったらしいと。




私が中学に入学した時、H先生はまだ学生あがりの新米先生だったと記憶している。そう考えるとまだ50歳そこそこ。

いや若すぎるだろ。



受験が終わって合格者の親に対する説明会で先生はこう言ったという。


「お父様、お母様。おめでとうございます。
これまで受験という大変な時期を、ずっとお子さんを支え続けた皆様に敬意を表します。
そしてこれからは我々教師陣にお任せください。これからの6年間でお子さんが社会で通用するような立派な人間になるよう我々が全力を尽くします。」


実際H先生は誰よりも口うるさく注意するし、大半の生徒からは煙たがられていたけれど、私は知っていたよ先生。


先生は私たち生徒を1人の人間として扱ってくれていたことを。


不器用だったけど、裸の心でぶつかってきてくれていたことを。


進学校だったから先生はむしろ異端で、偏差値上げればいいでしょ派の先生達とは上手くいってなかったのも知ってる。


でも僕ら生徒のことを我が子のように心配して応援してくれていたよね。




先生、

人一倍頑張って、


人一倍生徒を成長させたから早めにお迎えが来たのかな。



ありがとうね、先生。




大好きだったよ。









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最後まで読んでくださりありがとうございました。

今回は企画の二股かけている罪な私を許してください。


カオラさんとナオさんの関係性を知りつつ、どうしても2人の企画を繋げたかったです。


noteで出会った偉大なお二人。そんな2人がたまたまか、計算してか、同時に企画を進行中。

これはやっちゃえマイトンと言ってくれてるのではないか。


勝手に解釈して書かせていただきました。
タイトルは際どいですが、稚作お納めください。


#それやったんかーい


#クロサキナオの2024JuneJaunt


皆さんの1日が笑顔と安心で満たされますように。

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