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三島由紀夫 生と死


 前回の福田恆存を体系化するで、私は三島由紀夫がみずからの戦後を「余生」と表現したことにふれた。かれの同級生の多くが学徒出陣であるいは命を落とし、あるいは悲惨な不条理にさらされたのである。兵役につかなかった三島もまた、戦後派の作家たちと同様に、そこに「後ろめたさ」を感じていた。
 だいぶ前に、福田恆存と三島由紀夫「暗渠論争」についても書いたのだが、ノートのダッシュボードを見ると、私の書いたものにしては、非常に広く読まれている。だがそれは、三島の死について言及しながら、まことに素っ気ない尻切れトンボのような記述で終了している。
 それもかれのような偉才に失礼な話であるから、三島由紀夫についておもうところを語ってみよう。

「仮面の告白」

 三島の出世作は「仮面の告白」である。新潮文庫の解説は福田恆存が書いている。ちなみにこれは、おなじく新潮文庫版坂口安吾『白痴』とならんで、文庫版解説の白眉であると私は考えている。ぜひご一読を。

「仮面の告白」は、タイトル通り、一人称体の告白小説なのだが、自然主義以来の日本文壇の「伝統」にのっとりながら、それを逆手にとって、現実と虚構のけじめのない私小説に楔を打ち込もうとした意欲作である。

 作者は「告白は不可能である」という前提に立ち、作者本人ではなく、「仮面」に告白させるという形式をとる。仮面として採用されたのは、同性愛である。作品全体は、それをカミングアウトしないことから生じるエピソードによって構成されている。

 だがこの構成それ自体が「仮面」の役割をはたしている。この小説が文壇に受け入れられたのは、やはりそこに真実が告白されていると、長老たちが感じたからである。つまり同性愛はフレームでしかない。それは仮面であって、そこにいっさいのレアリティはない。
 そしてこの小説は、戦争中に東大生だった三島の体験した出来事が直接の素材となっている。それは三島自身が明かしている。

 ならば真に告白されていることとは何か。大きく分けて二つある。 一つは、召集令状をうけながら即日帰郷となった経緯。
 もう一つは、恋人とおぼしき女性の家からの縁談にたいして返事を保留しているうちに、彼女が他家へ嫁いでしまったということ。この二つである。

「私」は、貧弱な体がよけいに貧弱に見えるように、わざわざ父祖の郷里で兵役検査をうけた。そして当日ひいていた風邪を肺病と偽り、入隊を免除される。そこには高級官僚である父親の力が大きくはたらいている。

 しかしかれは、至高の価値と引き換えにみずからの命を棄てることを夢見る青年だったのだ。詐欺まがいの兵役忌避は自己の信念と理想への裏切りだった。

 国家と市民は相互関係にあると、ヘーゲルはいっている。「市民社会において市民はそれぞれ自己の利益を追求する」のだが、他者との関係性において「普遍的形式を与えられ」る。(『法の哲学』)
 要するに、個人間のエゴイズムの衝突が公益性としての全体性を要請し、そこから法の支配がかたちづくられる。さらに、そうした市民社会の過程の中で個別は普遍へと昇華し、そこに成立する国家においては、個別のエゴイズムは制約され、「全面的な依存の体系」として総合される、とヘーゲルはのべている。

 
 とにかく、「仮面の告白」の「私」は、国家と市民の相互関係に逆らって、自己の特権を利用してエゴイズムを押し通し、個別が他者との関係性において「普遍的形式」へとつながる道を閉ざしてしまったのである。
 そして「私」は、自分の逡巡から恋人を失った第二の事件は、第一の事件における選択と非行動から帰結した必然だと判断した。そこからかれは、みずからの人生をとりもどすために、人妻となった元恋人にアプローチし誘惑者と化す、とまあそういう話である。「告白」を終えた後半から文体の凝集度は低下してゆき、最後はぐだぐだになっておわる。同性愛の仮面も機能しなくなっている。

 いずれにしても、三島由紀夫の意識したエゴイズムは、戦後派の人たちのものよりも、いっそう輪郭のはっきりした手応えのある「悪」としてたちあらわれている。

肉体と行動の論理

 その後、三島は美神に帰依することで、個別を普遍につなげ、悪の問題を突破しようとこころみている。その方向で、「金閣寺」とか「潮騒」といった系列の作品群が書かれた。

 そのかたわら、三島由紀夫はボクシングやボディビルをはじめ、肉体改造に取り組むようになる。

 仮面の「私」は、英雄的に死をのぞんでいた自分がどうして兵役を忌避したのかと、疑問をなげかけているのだが、私に言わせれは、よくいうぜ、というほかない。
 客観的にみて、出征したとしたら、ひょろひょろの文学青年で壊滅的に運動神経の鈍い三島の前途に待ちかまえていたのは、「英雄的な死」などではなく、みじめな犬死であったろう。それ以前に、野間宏の「真空地帯」などを読めばわかるように、老兵による理不尽ないじめと侮辱にさらされたかもしれない。三島は恰好の標的となったろう。
 三島由紀夫の鋭敏な知性はそれを見通していたはずである。両親も愛息の身を案じていいふくめただろう。
 つまりかれは、文学青年のナルシシズムが現実と衝突した際に、自分が「英雄的死」に値しない人間である事実をおもいしらされたのである。そこには、意志的な行動には肉体的な勇気を必要とするという素朴な発見があった。

「豊饒の海」

 そこから紆余曲折があるのだが、肉体改造を終えると、三島は「文武両道」とか「知行合一」という言葉を口にするようになる。美神の崇拝と行動の論理を止揚することで、個別を普遍につなげエゴイズムを超越する事が再度めざされる。結局、美神への帰依からエゴイズムを抑制する原理を引き出すことはできなかったからだ。
 そこから「英霊の聲」「太陽と鉄」「憂国」といった作品があらわされるのだが、そのへんは端折って、いきなり最後の「豊饒の海」へとジャンプしよう。

 というのも、『豊饒の海』四部作は、第二の「仮面の告白」だからだ。ここでの仮面は、「輪廻転生」というフレームであり、仮面の主人公「私」は、転生する主人公とその観察者とに分離されて物語は進行する。

 第一巻「春の雪」は、「仮面の告白」第二の事件に、第二巻「奔馬」は第一の事件に対応する。三島はところどころに両者の符節を合わせて読者に第二の「仮面の告白」であることを仄めかしている。(一例をあげれば、「春の雪」の清顯が總子に拒絶され絶望して東京に帰るシーンには、「仮面の告白」の「私」が帰京する車中の描写をそのまま流用している)
 つまり三島由紀夫は、自分がやろうとおもって果たせなかったことを「豊饒の海」の主人公にさせている。それを作者の分身である繁邦が目撃する。認識と行動は分離され、対立項として存在する。結論からいえば認識者・繁邦は虚無のうちに突放されることとなる。行動なき認識は無価値なものとして捨て去られるのだ。

 私がヘーゲルを引用したのは、この作品の構造がヘーゲルの世界観にちょっと似ているとおもったからだ。
 三巻以降は、この作品の構造それ自体が「主人公」となる。それは、作中人物の人生の動因となっている「阿頼耶識」なのだが、それぞれ個別のエゴイズムはそれに制約され、依存し、全体ができあがるという構造をとる。そしてこの作品そのものが一つの「精神」として機能する。三島はそのように構想している。

 しかしヘーゲルの精神としての国家が、かれのいうほど完璧なすがたをあらわさなかったように、「豊饒の海」は記憶も現実も喪失することで終結する。行動と認識、実行と文学という対立する二項を弁証法的に総合することはかなわなかっのだ。それは作者にとって不本意な出来映えだったのではないかと、私は推測する。

 三島由紀夫は「豊饒の海」にみずからの精神そのものを定着させることをめざした。しかしながら、各登場人物はすべて作者の傀儡であり、そこにあらわされているのは、いかなる意味においても、意志的な行動ではない。作者は神のようにかれらを操っている。いいかえれば、「豊饒の海」の作品世界は、三島自身から切り離され、外部に構築されているということだ。そこにあらわされた愛や正義やエゴイズムや悪意は、たんなる断片であり全体性をもたない。人物が自由をもたないということは、倫理性を欠いているということを意味する。
 それは、三島の意図を裏切るかたちで、かれ自身の精神を反映したものであった。

小説家の意識と無意識

「英霊の聲」や「憂国」「文化防衛論」に登場する天皇、青年将校、日本文化なども、ことごとく三島自身に都合よくつくられた「傀儡」であり、実在する本物とは似て非なる実質を欠いた観念にすぎない。つまりそれらはかれの内的な現実とはべつに、外部に表象された事象なのだ。したがって主体の意識に従属するものである。
 逆にいえば、三島由紀夫のパースペクティヴを構成する諸価値――かれが大切にし重要視していた理想から、かれ自身は疎外され、それらと親密な関係をむすぶことはできなかったのだ。たがいを位置づけあう対等な関係ではなく、主人と奴隷の断絶した関係だった。

 こころみに「憂国」を繙いてみると、作者によって無理にしつらえられた動機から、青年将校夫婦が自決するのだが、そこまでの過程はおざなりで、自決の前におこなわれる若い肉体美をたたえた男女のセックスが作品の頂点をなす。それはまさに「道行」である。結局、「憂国」にも「二二六事件」にも本質的な連関はなく、それらはたんに舞台道具としての機能をはたしている。そこには三島がふだんから口にしていた「生命以上の価値」など、かけらも存在しない。肉体的勇気は物質的な破滅につながりこそすれ、正義や善にはいささかも道を通じてはいない。

 小説家は、かれが真に文学者であるならば、いかなる舞台に立とうとも、かならず自分の好む音を奏でようとするものである。三島由紀夫もまた、自らの死をも辞さぬエゴイズムの超越という理想を心に秘めながら、実際出来上がった作品はことごとく所期の目標から逸れて行った。しかしそれだからこそ、かれの作品はりっぱに文学として成立しているともいいうるのである。

 たとえば、野球の投手は誰もが正確なコースを想定してボールを投げこむが、かれがすぐれた投手であればあるほど、その球は独特な軌道を示して捕手のグラブにおさまる。ボールが生きているのだ。めざしたコースを逸れたとしても、その方がピッチングにおいては重要な意味をもつ。
 同様に、文学においても、作者の意図などにたいした意味はない。肝心なのは、その意図を超え出てくる文体の質量なのである。

 三島由紀夫の意図は相対主義の克服ということにあったのだが、かれの本質はじつはそこにはない。そうした意識された意図に抑圧されたかれの内的自己はそれに反逆し、類いまれな「三島美学」を優雅に奏でてゆく。そしてそれはかれの意識がとらえた「日本文化」ではなく、真の意味で、われわれの心の奥にいまも息づいている、「もののあはれ」「色好み」の美を体現し現代に継承するものである。
 三島はそれを悪や罪の意識の欠如した相対主義として、西欧文学の立場から批判的にみていたし、その対立を止揚して日本的美学を高次のものへと引き上げようと考えていた。だがしかし、両者が作品のうちで斬り結ぶことはついになかった。なぜならば、三島における西欧思想は外的な付け焼刃でしかなく、内的な真実として把握されてはいなかったからである。竹光で斬り合いはできない。それゆえ、「豊饒の海」も相対主義の否定が大きな相対主義へとのみこまれることで完結した。

 つまり三島由紀夫は意識下の暗渠で日本に通じていたのだ。しかしそれは、かならずしも否定的な意味に尽きるものではない。その否定性は一人かれだけのものではなく、現代日本に生きる意識的な文学者の背負わされた一個の運命をあらわしている。三島由紀夫の自決への歩みは現在も色褪せることのない偉大な戦いの軌跡にほかならない。
 

 私は以上のことから、「豊饒の海」も異形の傑作だと考えている。

福田恆存さんや、そのほかの私が尊敬してやまない人たちについて書いています。とても万人うけする記事ではありませんが、精魂かたむけて書いております。