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福田恆存を勝手に体系化する

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不世出の批評家、福田恆存の思想を読みなおし、系統的に再構成する試み。それは狭義の哲学や形而上学にとどまらず、まさしく文学的な新たな体系化として開示される。
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記事一覧

福田恆存を勝手に体系化する18 自由・その本質

「二つの自由概念」   アイザィア・バーリン「二つの自由概念」という、おそらく現代自由論…

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福田恆存を勝手に体系化する。17   自由・その歴史性   

 自由とは何か――個人がやりたいことをやりたいようにやることと、端的にいえるだろう。それ…

神原いつお
2週間前
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福田恆存をを勝手に体系化する。16  ヒューマニズムとエゴイズム   

われわれの「エゴイズム」 まず引用からはじめよう。 「ある作品」とは、おそらく野間宏の「…

神原いつお
1か月前
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福田恆存を勝手に体系化する。15   エゴイズム    

エゴイズムの起源について  エゴイズムとは私的利益の追求である。あるいは、みずからの快楽…

神原いつお
1か月前
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福田恆存を体系化する。14      正義とは何か さらなる鋭鋒への旅立ち 

 この一連の文章を読んだ友人からクレームがついた。  福田恆存を体系化するといいながら、…

神原いつお
2か月前
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福田恆存を勝手に体系化する。13   人間的時間の本質と運命 

時間について 前節において私は、福田恆存の思索における根本的現実について語った。しかし、…

神原いつお
3か月前
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福田恆存を勝手に体系化する。12   いよいよ思索の頂点へ     

  根本的現実とは何か  さてここで、これまでの「体系化」をいったん手みぢかに整理しておこうとおもう。  というのも、この節から、福田恆存の思想の体系化における最も重要なポイントを明瞭にすることになるからだ。  それは近代を超越せんとする福田恆存の思想的営為の核となるものを摘出することを意味している。  私は、特定の状況のなかで一つの視点をとらされている。事物はすべて私のパースペクティヴの内部にあらわれる。私はその外部に出ることもできないし、それを他者と交換することもで

福田恆存を勝手に体系化する。11   個人的自我と大自然 神 

存在の夜  人は夜になると眠りにつく。白昼の喧騒から身を引き離して一人になる。視界は遮断…

神原いつお
3か月前
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福田恆存を勝手に体系化する。10   集団的自我の歴史性 

 私は、私にあたえられた世界の中心にいる。むろん、あなたもあなたにあたえられた世界の中心…

神原いつお
3か月前
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福田恆存を勝手に体系化する。9

福田恆存とD・H・ロレンス ロレンスとの関係性は、いろんな人が書いているし、ここまで書い…

神原いつお
3か月前
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福田恆存を勝手に体系化する。8  二葉亭四迷 芸術と実行

私小説的現実について 「内発的自己」と「外発的自己」にはとほうもない落差が存在することが…

神原いつお
4か月前
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福田恆存を勝手に体系化する。7  日本的なるもの

 前節では、福田恆存における「外発的自己」について検討した。  それならば「内発的自己」…

神原いつお
4か月前
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福田恆存を勝手に体系化する。6   「外発的」自己の歴史性 終末論とはなにか。

西欧精神の中枢に斬り込む いよいよここから、福田恆存における最深部「外発的自己」に錘を下…

神原いつお
4か月前
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福田恆存を勝手に体系化する。5 戦後の時代 観念論の克服と自我の確立 「私の保守主義観」 キリスト教 

福田恆存が生きた時代の歴史的理念の素描  生きるとは、徹底的に私の内部の出来事である。だとすれば、私は福田恆存を体系化するとはいったが、その体系は福田恆存の生きた状況と抜きさしならぬものであり、それだけ単体でとりだしてみたところで、それは肉を欠いた骨と皮にすぎない。それゆえ、かれの思考の体系を知るということは、とりもなおさず、かれの生活とその時代をも知ることである。 「社会」は歴史的存在者である。  それは一定の世代に作用を及ぼす理念の体系をもっている。空間的な広がりをも