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スーパーで「アスパラガスビスケット」の期間限定ハニーバター味が売られていた。
思った。「どうしてビスケットに『アスパラガス』なんて名前付けたんだ」と。
調べてみると、どうやら発売当時アスパラガスは高級食材の類だったらしく、そのアスパラガスに見た目が似たビスケットを気軽に楽しんでほしい、というのが由来だそうだ。
この名前でいこうと決めた担当者を褒めたい。普通、「アスパラガスビスケット」と言われたら、クソ不味そうである。
それがロングセラーとなっているのだから、やはり商品のネーミングは大切なのだろう。

その点僕は名付けるという行為がとてつもなく下手くそだ。曲のタイトルも、バンド名も、かなり悩んだ末につけた。
この「Aldh(あるだー)」はまあなんというか、気分だ。きっと数日後には違う名前にすればよかったと嘆いているだろう。
何かに名前をつけるということは、それを世界に存在させるための行為だと思う。

おそらく僕は人より感情が無い方だ。
誰かといるときはかなりリアクションを大きくしているが、どちらかといえば「こう振る舞わなければならない」が先行しているイメージである。
去年の誕生日、友だちがサプライズをしてくれた。その友だちの家に行くと、飾り付けやらケーキやらを他の友だちと一緒に用意してくれていたのだ。
嬉しかった。純粋に嬉しいと思っていた。
でも祝われながら、「今は喜ばなくちゃいけないんだ」「笑顔をずっと見せなくちゃ」「嬉しいように振る舞わなきゃ」と思った。
人生なんか、そんな感じだ。コミュニケーションは色々な物事を潤滑に進めるために必ず要る。
それをマニュアル化してしまったのかもしれない。

僕は、哲学的ゾンビなんだ。

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