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精読・熟読・味読

最近よく本を読むようになった。

自分の生計の足しになる「開発教本」も買ったりするのだが、最近はもっぱら「人間学」に関する本が多い。

ちょっと前までは「陰謀論」と呼ばれるジャンルも多かったが、飽きた。


昔の記憶を辿ると、「三国志(横山光輝)」の本を友達から借りてから、教科書や漫画以外の本を読むようになった。まずは「三国志以外の古代中国史が知りたい」と思い、「項羽と劉邦(横山光輝)」「史記(横山光輝)」「水滸伝(横山光輝)」を立て続けに読んだ。

これがキッカケで「孫子の兵法」に触れることが多くなった。ただ、この時は「兵法の妙の面白さ」のようなものにしか興味がなかった。たしかに面白かったが人生の役に立ったかというと微妙なところで、少なくとも身になっていないことがほとんどだ。

とはいえ、「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして降すは善の善なるものなり。」は、私の人生の基本軸だし、「疾きこと風の如く、潜かなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如く、隠密たること夜陰の如く、激動すること雷鳴の如し。」という名言は、節目には必ず思い出す言葉である。


「人間学」を強く意識し始めたのは、鬱病で広島に強制帰還してから。「縁・因・果の法則で運命は決まる(木原秀成)」の根幹でもある「運命創造学」に触れてから意識が変わり始めた。

内容は難解であるため、読み解くためまずは宗教系や歴史系の情報や本を適当にあたってみた。島田裕巳氏、井沢元彦氏、竹村公太郎氏らは多くの示唆を与えてくれた。しかし、それらのジャンルの奥深さは予想以上で、それらを知ること自体が難解だったし、それらが求めているものとは少し違った。

そんな最中、「SIあそび」という「J.P.ギルフォート博士」が開発した教育法を実践している幼稚園に出会い、「ギルフォード博士の子どもに自信をもたせる育て方(白濱 洋征)」を読み、ADHDというレッテルを貼られて、どことなく頼りなかった息子が3年間で素晴らしい成長を遂げた過程を目の当たりにしたことは非常に大きな転機になった。

また、偶然にもこの時期に「アドラー心理学」がブームになり、「嫌われる勇気(岸見 一郎,古賀 史健)」を読むにつけ、「人を知ることの大切さ」が理解し始めてきた。

あえて付け加えるのであれば、「99%の人が知らないこの世界の秘密(内海 聡)」でも語られている「自分で調べ、自分で考え、自分で責任を持つ」「いかにして子供も守るのか」というごく当たり前なことが、2011.03.11以降、多数の日本人の共通項に加わったことの影響は大きいし、「ゼロ―なにもない自分に小さなイチを足していく(堀江貴文)」でも語られている「働きまくって遊びまくり、考えまくる。」というフレーズには勇気をもらった。


そこからしばらくして、改めて中国古典を読み始めた。キッカケは北尾吉孝氏のFacebookの投稿を見ていてふと思ったこと。

「あれ?この人、引用に論語などの中国古典が多いな。」


「孫子」をはじめ、「老子」「韓非子」「論語(孔子)」「菜根譚」「易経」などを読んできたのだが、イマイチ身につかない。しかし、北尾氏の投稿では見事なまでに表現されているのを眺めているうちに自分自身にある穴を埋めたくなったというか、刺激が欲しくなった。

気づけば、「何のために働くのか」「修身のすすめ」「実践版 安岡正篤」を精読中。まだまだ身についていない。

その中で、今一番しっくりきていること。そして、実践しなければならないと思っていることが以下の部分。


実践版 安岡正篤(北尾吉孝)」 35頁

本を読むと言うことは、本来、真剣勝負でなくてはならないと思います。うわべの知識を吸収する為に行うのではなく、自分を成長させる糧にするのでなければ読む意味はないのです。その為に、論旨に対して自分の頭で考え、批判や疑問、同感を持ってじっくり読むのです。これにはエネルギーが必要ですが、読後感が何も残らないような読書は時間の無駄です。精読・熟読、さらには未読が大切なのです。


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