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育休の魔物2

魔物の発生源① ON/OFFのない日々

育休中というのは基本的に家とその周辺が生活の場となる。そして、生活の中心となるのが当たり前だが育児、次に家事。
産休や出産後の育休初期、私は玄関を出て仕事に向かうことからは解放される分、「家事育児を頑張ろう!丁寧に生活するぞ!」なんて意気込んだりしていた。最初は楽しい。育児も大変ではあるがすべてが初めてのことというのは新鮮に感じられて、あれやこれや情報収集をするのも楽しめた。何より我が子は可愛くてすくすく育っていく様子を一番近くで見守ることができるというのは何にも代えられない幸せだった。

だが、いつからか次第に楽しいよりもどんよりした気分が自分の中で膨れ上がっていった。我が子は変わらず可愛い、というか日に日に可愛さは増していく一方なのに…。

ある時気が付いた。育休中の生活はONでもなければOFFでもない、区切りのない連続した時間が自分の精神をじわじわ弱らせていっていると。

私が「育児休業社」の会社員だとする。
業務内容は
○赤子の生命を守ること
○赤子の健やかな成長のため、快適な環境と食事と愛情を提供すること
○その他の家族のための日常生活上必要な雑用をこなす(小さいものからそうでないものまで膨大)

勤務形態は
○24時間勤務
○ワンオペレーションでの業務が7割 同僚(夫)との共同業務が3割
○休憩時間は赤子が寝ている隙間(何度とっても良いが不規則。自分でコントロール不可。管理職はいないため、休憩時間を与えてくれる人はいない。昼寝も許可するが、昼寝できずの夜勤もある)
○昼食休憩は基本なしのため、赤子と一緒に食べるか(無理)作りながら食べるか、食べずに赤子が寝るまで待つ。

ざっとこんな感じ。普通に仕事してたら主張できる休憩時間も、帰宅までのインターバルの切り替える時間も、AirPodsで好きな音楽を聴きながら自分を労う時間もない(正確には取りにくく、浅い)たくさんの幸せを抱えているのに、自分の内側が弱っていく。そこに感じる罪悪感も相まって、どんどんと気力が衰えていき、家族に当たることも増えてしまう。

魔物の発生源② 自己評価のみの世界

仕事していたら上司や同僚、教員の私の場合は保護者や子供たちから、自分の仕事ぶりへのリプライが必ずある。プラスの評価は、ガソリンになってくれる。もちろん、プラスのものばかりではないが、それが心を動かしてくれる。

一方、育休中はどうかというと、基本的には自己完結、自分の中でPDCAサイクルを孤独に回し続ける感じ。これが私にとってはしんどかった。

魔物の発生源③ 自己犠牲のし過ぎ

他者を優先して自己犠牲をしてしまいがちな性格ではある。それは自覚している。が、育休中は輪をかけて自己犠牲を強いるようになってしまった。我が子は尊く、失いたくない唯一無二の存在だからだ。育休を取っている、いや取らせてもらっているのだから、家族のために多少無理しても仕方ないとも思っていた。これがまずかった。自己犠牲の沼は深く、「もっとできたのでは?」とか「次はこうしよう」とか常に自己を追い詰めていく。1人の命を預かって育むだけで100点のはずなのに、そんな自分を労わずに自分で自分を追い込んでいく日々。これではだめだと気づいたときには、思考の癖がつきすぎていて、脱するのに時間がかかった。

そんな闇の深い時間を経て、今は「自分の機嫌を取ること」に注力している。それは家族にとってもhappyを生み出していると信じて。お母さんが笑っているだけで子供は安心する。自分もそうだったことを思い出した。難しい顔してどんよりしている母を見せたくない。今はまるっとありのままの自分を許して、ご機嫌を取り、家族に還元することが使命かなと思っている。


まとめ

魔物は、私の考えすぎて不安症は性格に起因してると思う。私のパターンであって、誰もに襲いかかるわけじゃない。きっと上手にやりくりする人にとっては「え?」って話なのかも。

恐れ多くも育休下手くそな私が、二度の育休(合計4年)これから育休の人に伝えたいことは1つ

【自分を大切にすることは、子供を蔑ろにすることとイコールじゃない】

ということ。私が4年かけて学んだこと。
自分を大切にできると、子供達や家族に派生する。だから、罪悪感なんて手放して、過酷な育児休業社勤めの日々の中でも自分のしたいことをしちゃおうねってこと。

育休中の皆さんに心からのエールを送ります。

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