遠慮を越えて
(メインブログ「神様達と共に」で2014年1月19日に公開された「遠慮を越えて」の内容を、一部修正&加筆して再アップしております。)
よく考えると、今年に入ってまだあるじに出てきてもらってないなぁと気付きました(^^)
まー、あるじは自称このブログのアドバイザーですからね(笑)
せっかくですので、今年はどんな流れになるのかちょっと聞いてみようかなぁって思います。
おーい、あるじぃ~(* ̄Oノ ̄*)
あるじ「ふん・・・遅れおって。
ワシが最初に話すべきところを他の存在に任せていたな。
まぁかまわんがな。
わっはっはっは!」
ははは(^^)
『まぁかまわない』のに、一応ツッコミを入れるあたりは相変わらずですね(笑)
あるじ「ワシはお前のソウルサポーターであると同時に・・・ブログのアドバイザーだ。
お前は覚えとらんかもしれんが・・・魂でワシとお前は契約しているのだよ。
このようなブログを通して・・・多くの人に影響を与えるというね。
だから・・・ワシも手を抜くことはできん。
もちろん・・・一番尊重されるべきなのは・・・人間であるお前の自由意思だから・・・余計なことは言わんがな。
しかし・・・もしもお前が幸せの道筋から外れそうな時は・・・契約どおり・・・一言いわせてもらう。
それがワシの役目なのでな。」
おぉ・・・なるほどね∑(゚Д゚)
まー、誰もいないよりはありがたく思っていますよ(´ω`)
それに、僕も堂々と悪態をつけるSSさんはあるじぐらいなので(笑)
そういう意味でも助かっていますよm(_ _)m
あんまり普段言わないけど・・・いつもありがとうね、あるじ(^^)
あるじ「ふふふ。
お前も最近は素直になってきたな。
以前は・・・そういう言葉を発しない雰囲気をまとっていた。
人生は戦いだと言わんばかりの雰囲気をな。」
あはは(笑)
いやぁ、その通りですね(^▽^;)
特にK君とルームシェアしてた頃なんて、二人とも常に戦闘態勢みたいな感じでしたよね。
今は奥さんのお陰さまで、だいぶまろやかになれたなぁって感じています(*´Д`*)
あるじ「そうだな。
お前はラッキーなヤツだ。
あたたかい支援者にも恵まれているからな。
しかし・・・ここらへんで大きな変化がやってくるぞ。
それは・・・お前の中での変化だ。
先日・・・別の神とそのことを話していたな。」
あ~・・・そういえば、プライベートでサスケさんとちょっと話していたんですよね~(´Д`)
どうやら『突き抜ける』時期らしくて・・・。
なんと言いますか・・・他者に対する気使いや怖れから卒業する時期みたいですね。
あるじ「さよう。
他者の心を『おもんばかる』ことと・・・他者に『気を使う』ことは似て否なることだ。
お前の場合は・・・『おもんばかる』ことは・・・これからも続けるがいい。
特に仕事の前に・・・相手の心(魂)に耳をすませることは必要だ。
それによって・・・まるで複雑なカギ穴の合鍵を作るかのように・・・その者の心に必要なチャネリングメッセージを・・・正確に翻訳できるようになるわけだ。
お前は以前油断して・・・相手の心に十分にピタッとはまるメッセージを届けられなかったこともあったからな。
例外なく・・・人の心というものは複雑だ。
そこに癒しや・・・気付きを届けるためには・・・前もって相手をよく知っている必要がある。
これは・・・心(魂)を見る感受性があればこそできる能力だ。
別に特別なことではなく・・・真剣に相手の心に耳を澄ませることを続ければ・・・誰でも相手の心を感じることはできるようになる。
人は他者と向き合い・・・他者の心に耳を澄ませ・・・時に真剣に『おもんばかる』ことで・・・お互いの魂の絆・・・生命の源を感じながら深く交流することが可能になる。
その様にして感受性を磨くほどに・・・よりお互いを信頼し合い・・・愛の交流をすることができるようにもなっていく・・・。
それは・・・お互いに活かし合う道だ。
だが・・・一方でお前は他者に・・・『気を使う』必要はもうほとんどない。
おもんばかることが・・・慈悲のエネルギーを伴った行為だとすれば・・・気を使うというのは・・・遠慮と恐れを伴った行為と言えるだろう。
それはいつもお前を疲れさせ・・・苦しめる。
『おもんばかる』ことは・・・お互いを活し合うが・・・『気を使う』ことは相手を甘えさせると同時に・・・自分を苦しめるわけだ。
完全に犠牲を卒業するためにも・・・『気を使う』ことはもうやめねばならんな。」
ええ・・・そう。
そうなんですよね~(´Д`)
先日サスケ様にその辺のヒントを頂いて、ここ数日ずいぶん見つめていました(´ω`)
そして僕は知らず知らずに、世間一般の考え方や、相手の都合に遠慮していたのだなぁと気がつきました。
今では自分の心がどう感じているかがハッキリとわかるようになってきましたので、自分がどこで遠慮しているのかもわかるようになったみたいです。
知らず知らず相手が『こう考えるかなぁ』と心配したり、『こういうデメリットがあるよなぁ』ということをいつも考えて気を使ったりしていました・・・。
この歳になってようやく、そういう部分が自分を疲れさせていたのだなぁ~と気付きました(^^;)
本当は今の自分の心(魂)は全てを知っているのだから、その時に必要な言葉が心からスッと出てくるのに任せておけばいいだけなんですよね。
それを止めるのが恐れであり、遠慮であり、気を使うことなんだなぁというのが感覚的によくわかってきましたよ。
あるじ「うむ・・・まぁその通りだ。
ただ・・・読んでいるもののために注釈をつけると・・・同じ気を使う行為でも・・・感謝や思いやりから来るものもあるので注意は必要だ。
ここでの『気を使う』というのはあくまでも・・・怖れや遠慮を含んでいる行為のことだね。
全ての『気を使う』行為が・・・怖れから来るというわけではない。
愛や慈悲の動機からの『気を使う』ことであれば・・・自分の心を深く感じた時も自然であると感じるだろう。
しかし・・・遠慮や恐れを含む行為は・・・正直に自分の心を見つめた時に違和感があるものだ。
その違和感をよく見つめ・・・よく感じることが・・・乗り越える第一歩となるだろう。」
うんうん、そうですね。
僕の場合も、自分の中の違和感がハッキリしてきた感じです。
今まではそれが当たり前で、やり過ごしてきたのですが・・・先日は『あー!もう違うぞ!オレは遠慮しないぞ!』という気持ちが出てきました(笑)
そして『おもんばかる』という愛や慈悲が動機の行為は自分を活かすことになるけど・・・遠慮や恐れは自分を苦しめるなぁってリアルに感じました。
これからは、もっと思っていることをストレートに心のままに表現しつつも、でもできるだけわかりやすく伝えられるようになっていこうと思っています(^^)
そういう創意工夫は僕も楽しいし、お互いを活かす行為ですからね。
あるじ「そうだな。
多くの日本人が・・・お前の様に遠慮を身につけ・・・お互いに『気を使う』という習慣を身につけてきた。
だが・・・そろそろ卒業の時期に来ているものも多い。
このブログの読者もそういうものが多いのだ。
そのためには・・・まず先日の記事の様に・・・欺瞞に気付く必要がある者も多いだろう。
なぜなら・・・遠慮ではなく・・・欺瞞によって自分の心の怖れを守っている場合もあるだろうからな。
自分の中にある恐れを埋めるために・・・ある者は遠慮で防御力を身につけ・・・ある者は欺瞞で攻撃力を身につける。
よく見渡せば・・・この世界は遠慮と欺瞞によって争いが絶えず・・・被害者と加害者に溢れている。
犠牲と支配と言ってもいい。
その根本は・・・お互いに影響を与え合い・・・お互いが深い気付きを得て潜在的な怖れを手放し・・・心のままに生きるために起きていることだ。
全ての出来事はギフトなのだよ。
だが遠慮にせよ欺瞞にせよ・・・もしそこにとどまるならば・・・心の芯から幸せを感じることはできん。
だから・・・犠牲と支配のパラダイムを越えるためには・・・時に自分と向き合い恐れを越えていく必要がある。
最近のお前がそうだったな。
しかし思ったよりも・・・今スッキリしているようでよかったな。
わっはっはっは!」
あははは、あるじが笑うと、なんか僕もおかしくなるなぁ(笑)
でも、おっしゃるとおりでスッキリしているのでありがたいことです(^^)
それで、あるじ。
今年(2014年)はどんな流れになるんでしょうかね?
あるじ「うむ。
まぁ楽しい1年になるだろう。
思っているよりもな。
お前にとっては課題を感じることも多いだろうが・・・それもただ苦しいだけでなく・・・チャレンジとして楽しみながら向き合っていけるはずだ。
今日話した様に・・・恐れを乗り越えた先に見えてくる・・・新たなるエリアを楽しんでみるがいい。
だが・・・まだ焦りは禁物だ。
今は地ならしの時期。
大きな行動ではなく・・・小さな変化から楽しんでいくがいい。
無理をするとパンクするから注意だな。
わっはっはっは!」
ははは(笑)
・・・って何がおかしいんだか(^▽^;)
なるほど・・・新たなるチャレンジを楽しみながらも、無理をするとパンクね・・・。
あらためて自分の器の限界を感じさせられますわ(笑)
とりあえず肝に銘じておきますわ(`・ω・´)ゞ
あるじありがとう!
ご覧くださりまして、ありがとうございました。
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