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スピリッツの鉄人「鉄人になるまでの道のり」

これは、鉄人コーチ集団 「Withコーチ」 の "スピリッツの鉄人"こと、泉一也が鉄人になるまでの道のりを明かしたものである。鉄人コーチとは困難な現実・テーマに、タフに楽しく気迫を持ってwith(伴走)する。強さとしなやかさと愛に溢れるコーチのことを呼ぶ。

「なんで辞めるねん!」
 
会社の後輩が次々去っていくその背中を見て何もできない自分がもどかしかった。
 
1997年私は大学に幻滅し大学院を蹴ってフリーターをしていたが、その想いを買ってくれたIT企業に入社し働いていた。さらに3年目にして採用プロジェクトのリーダーを任されていた。
 
「泉さんと一緒に働きたいです」といって入社してきた後輩たち。彼らとこの会社をいい企業にしたい、後輩たちが活躍できる会社にしたいと熱く働いていた矢先のことである。
 
「いや、会社に合わなかったから仕方がないよ」
「仕事の適性がなかったから早くやめてよかった」
 
という上司・先輩たちの言葉に無理やり自分を納得させていたが、自分を騙すのはアホらしくなり、外に目を向けるようにした。2000年の頃、コーチングという技術が世の中で脚光を浴び始めていた。私はすぐに勉強を始め、公開セミナーに参加しながらその技術を体得しようとした。
 
「コーチングは全社員で学ぶに値しますよ」と上司に進言をしたものの、ちょうどその頃はIT開発の需要が全盛で「それよりも思考力、技術力だろ」と相手にされなかった。それならと自分なりに学びながら実践をしていくなかで、会社の目指す組織と私が目指す組織のスタイルのギャップがどんどん目に見えるようになってきた。
 
そのギャップは埋まらないと会社に幻滅し、去ることにした。幸運にもコーチング専門の会社に拾われ、見習いを経てプロコーチとして働かせてもらうことになる。
 
そこではコーチングという目に見えないものを事業化する会社のすごさを学ぶことができた。しかしまた同じギャップに直面した。コーチングを事業にしていることと、自社で実践していることの乖離である。理想と現実のギャップ。若手の同僚たちがネガティブな理由でどんどん辞めていく。
 
「いや、会社に合わなかったから仕方がないよ」
「仕事の適性がなかったから早くやめてよかった」
 
と上司や先輩たちの言葉をまた聞くことに。
 
会社を改革したろう!と孤軍奮闘したが、思いばかりが空回りし、逆に会社を否定する余計な存在として見られることに。居場所を失い、コーチングにも会社にも幻滅し会社を去った。もう自分でするしかないと会社を起こしたのが2004年。さらにコーチング技術ではなく、ビジネスコーチとして事業体となる組織を活性化しようと、同じ想いを持つ仲間と会社を作った。
 
1年後には多くの企業に認められ、書籍も出版し順風満帆であった。しかしまた限界に直面した。それは組織風土である。人間の心理を探求していくと、その深いところで心が縛られている。特に日本人はシャイで、意見を公の場ではいわず、同調圧力に流されやすい。一方、その分場の空気を読み、気遣いができ、チームの一体感が生まれやすい。組織風土は国の長い歴史の中で生まれた文化に影響を受けており、そこから紐解く必要があることを知った。
 
これはあまりにも独自の世界観だとわかり、仲間と袂を分かつことにした。ビジネスコーチはやめて、コクヨの経営者から命名いただいた「場活師」として再出発をすることにした。2008年の頃である。

日本の文化に「守破離(しゅはり)」がある。基本を体得し、それを破り、自分なりの世界を生み出す。まさにこの日本文化を体験したことで、私は鉄人コーチとなったのではないだろうか。

スピリッツの鉄人 泉一也
株式会社場活堂 代表取締役
神戸生まれ。大学2年の時、阪神大震災から立ち上がる神戸の活気と、それとは逆に硬直した土木業界を目の当たりにする。知識や技術を磨いてもそれを生かす組織が活性化していないと意味がないと気づき、人間の本質を学ぼうと心理学、社会学、哲学などを独学する。企業の人事を経てコーチング専門会社に。2004年に起業し、「場活」を提唱。企業に学校に地域に活動の幅を広げている。著書に「企業病に効く!ビジネスコーチング」など。


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