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私と息子とゆく川の流れ

いきなりだが、私は重い。
重いという表現がどうなのかはさておき、自分では重いと思っている。色んな経験を詰め込み心はずっしり重くなったし、年々体重は増えていくし。(どうして?)


カフェで作業をしている今、通りを行き交う人々が川の流れのように見えた。その流れを見て感じることを話していきたい。


重い私、来るもの拒まず去る者は追いかける

自分で見出しを書いておいて恥ずかしくなっているが続ける。

自分自身のことは比較的コミュニケーション力がある方だと思っている。新しい環境も飛び込めるし新たな人間関係作りも苦手ではない。入りは良いだろう。
けど、終わりにめっぽう弱い。さよならをしたくないのだ。たとえSNSでチラッと絡んだ人であっても、クラスメイトであってもさよなら〜と別れることが辛い。誰かと遊んで「じゃあまたね、バイバイ〜!」とするシーンにおいても、私は心では「これが最後の別れだったらどうしよう、もう会えなくなったらどうしよう」と思ったりなんかしている。我ながら重い。

基本的に来るものは大歓迎、両手を広げて受け入れるのが私。それが去る者となると、「そっかぁ、それはそれでいいよ〜!(クールな顔で)」みたいな感じを装いつつ、内心は「私何かしちゃったかな…なんで離れたの?私は離れたくないー!」とメソメソと自分勝手に一生考え込むのだから自分でも困る。去る者には追いかけたくなってしまう。(引かないで)


軽やかに生きる2歳の息子

3月は卒業、異動、引っ越しなど環境変化が多い月。それもお別れが伴うから苦手だ。去る者を追いかけたいタイプにはしんどい。みんな、また会おう?たとえ地球の裏側に引っ越したとしても会おう?火星に行ってもさぁ!てな具合にしんどい。


我が家にも変化がある月だった。
息子が認可外保育園から認可保育園へ転園した。認可外保育園はそれはもう手厚く愛を持って関わってくれた。出来ることならずっと通わせたかったが、諸事情で転園することは最初から決まっていた。

息子は言葉もままならない頃からお友達と沢山遊び、ときには喧嘩をし、生まれて初めての集団生活を送った。転園する3月、お別れが近いことは息子は知るはずもない。私は相変わらず、「この子は保育園が変わることを知らない、慣れ親しんだ大好きな先生やお友達にも会えなくなることを知らないんだ」と悲嘆していた。「残りの数週間たっくさん遊んで触れ合って楽しむんだよぉ、、!」とすでにうるうるしながら息子を送り出していた。そのはずが、息子はどこからかもらってきた風邪で、3月のほとんどを登園することが出来なかった。ついにはラスト2週間はお休みし続け、誰にもバイバイできずに転園となってしまった。こんなにあっけなく終わるのか。

呆気に取られる私をよそに、いま息子は新しい保育園で楽しく遊んでいる。
それこそ、転園直後は泣いて喚いて大変だった。それが、数日経つとすぐに新しいお友達と園庭で遊んでいる。私は息子を見習いたい。2歳であっても自分の意思や考えはあるだろう。寂しかっただろうに、乗り越えている息子を心から見習いたいと思った。

私にもこんなときがあったはず、と幼少期を思い出そうとするも記憶がない。きっと出会いと別れを繰り返すうちに、色んなことを知り臆病になってしまったんだと思う。前のnoteでも触れたが、命が果てるときを知っているからか、これが最期と言わんばかりに一瞬一瞬を思いすぎる。思いすぎて重いのだ。

私はもっと刹那的に生きてもいいんじゃないかと思うが、先々のことを案じすぎてしまう。一瞬を大切にしたいと思いすぎて、一瞬を満喫できていない。いつ来るか分からないお別れのことを、考えても考えなくてもそのときは来る。それなら今を噛み締めて生きた方が良い。だって、息子はもう楽しく遊んでいる。息子の一瞬の寂しさは、お友達が手に持っていた真新しいアンパンマンのおもちゃで消えたから。

方丈記「ゆく川の流れ」から学ぶ

突然だが、みなさんは鎌倉時代に鴨長明によって書かれた随筆、方丈記「ゆく川の流れ」という物語を知っているだろうか。

私はこの一節と出会った高校の古典の授業を忘れない。先生は泣きながらこの一節を朗読をしていた。

すこし長いがぜひ改めて紹介させて欲しい。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある、人と住みかと、またかくのごとし。
たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。
あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。
住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかに一人、二人なり。
朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。
また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。

その、あるじと住みかと無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。
あるいは露落ちて花残れり。 残るといへども朝日に枯れぬ。
あるいは花しぼみて露なほ消えず。
消えずといへども夕べを待つことなし。

方丈記「ゆく川の流れ」原文


どうして先生が泣きながら朗読しているのかが分からなかったが、その理由は後から知った。どうやら先生のお子さんがこの授業の数日前に不慮の事故で亡くなったらしい。

この一節の現代語訳はこれだ。

流れてゆく川の水は途絶えることはなく、しかも目の前の水はどんどん流れていってしまうので、同じ水ではないのである。
淀みに浮かんでいる泡は、一方では消え、一方ではまた生まれて、同じ泡が一つところで留まっているという例はない。

世の中の人も住まいも、泡と同じで、生まれては消え、消えてはまた生まれるということを繰り返しているのである。
 
美しい都に並んで、屋根の高さを競っている家々は、身分の高い家もあれば、低い身分の家もある。

これらは、世代が変わっても変わらずあるもののように思われるが、これが本当にそうなのかと調べてみると、昔あった家で今もある家は稀である。

ある家などは去年火事で焼けて、今年建て変えたものである。
またある家は昔は名家であったのに、今では衰退して小さな家になってしまっている。

住んでいる人も家と同じである。

昔と変わらない場所で、人も沢山いるにも関わらず、昔から知っている人は二、三十人の中に、ほんの一人、二人しかいないのだ。

朝に人が死に、夕方には人が生まれる。
そういう習わしは、淀みに消えては浮かぶ泡とまったくよく似ている。

私にはわからない。生まれたり死んだりする人が、どこから来て、どこに行くのかが。

また私にはこれもわからない。
住まいと言えども所詮ははかないこの世の仮住まい。
なのに、誰のために悩んで建てて、何によって喜ばされるのかが。

その住人と住まいが儚さを争っているような状況は、
言ってみれば朝顔の花と露が儚さを争っているのに違わない。

あるものは、露がこぼれて落ちて消えてしまい、花だけが残っている。
でも、せっかく残った花も、朝日に照らされると萎んでしまう。

またあるものは、花が枯れていても、露はそのまま消えないでいる。
しかし、たとえ消えないと言っても、夕方までは待てないで結局は消えてしまう。

Webサイト「ハイスクールサポート」より引用
https://www.chokochan.com/2346.html

「ゆく川の流れ」は日本人の無常観(世の全てのものは常に移り変わり、いつまでも同じものは無いという思想)を作品と言われている。
先生はあのとき、身も心も引き裂かれるような気持ちでいたに違いない。きっと、もともと授業でこの作品を扱うことは計画していたのだろうけど、当時どんな気持ちでこの作品に触れたのか想像することも出来ない。

無常観、まさにその通りだと感じた。この世の全ては移り変わるもの。約840年前から言われていることなのだから、無常以外の普遍的なものは無いのではなかろうか。

あのとき先生は確かに泣いていた。けど朗読しながら受け入れようとしているようにも見えた。私が先生の心に触れてはいけないと思いつつ、無常という思想に救われる部分がわずかにでもあったんじゃないかと思えた。


知りすぎて臆病になっていく大人

人は経験を重ねるにつれ臆病になっていく。楽しいことがあれば、それを上回るような辛いこともあることを知る。しかし、絶え間なく人生のドラマは繰り広げられ、感情の予防線を張ることできない。

私もいま、無常観に救われている。
重いなぁと悩む自分がもっと生きやすくなる考え方を「ゆく川の流れ」が教えてくれた。

私は自分を重いなんて思わず、肩の力を抜いて、もっと自分に自信を持って、深呼吸して生きたい。どんな環境になろうと、必要以上に先読みしたり深読みしたりせず、軽やかに生きていきたい。
だからどうってことはないと、世の習わしを受け入れ、流れる川のようになろうじゃないか。新しいアンパンマンのぬいぐるみに飛びつき、過去の寂しさを忘れる(受け入れる?)息子のようになろうじゃないか。


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