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戦争の記録より大事なこと

2014年、私が高1の時に、広島を学校行事で訪問した。その時に、語り部のおばあさんから戦争体験を聞いた。一睡もせず真剣に聞いたが、今となっては何も思い出せない。当時の担任の教師たちは、ただ生徒に話を聞かせるだけだった。質疑応答の時間を設けずに、「はい、じゃあ次は資料館行くよ。早く並んで」という感じで生徒を整列させていた。私は、そんな教師を無視して、おばあさんに声をかけて、ひとつ質問させてもらった。

「3年前の原発事故の時、福島は除染作業が行われました。広島は原爆投下の後、除染されたのですか?」
その答えだけは覚えている。米軍も日本政府も広島を除染していないというのが、おばあさんの回答だった。原発は除染するのになんで原爆はしないの?と心がモヤモヤした。しかし、これ以上ここで質問すると、教師に怒られるから、列に戻った。
実は私の後ろに、同級生の女の子が並んでいた。私の後に彼女が、このおばあさんに質問していた。彼女と私は、資料館の出口で、平和について話し合った。

彼女は、不満そうに言った。
「平和祈念資料館にもっと残酷な写真や資料を展示すべきだ」と。
その方が、人々に戦争の現状を伝えられるし、記憶に残るからだと、彼女は言った。私は反論したかったが、言葉が見つからなかった。私は、原爆ドームの前で、一般の方が、残酷な写真をたくさん展示していたのを目撃してしまったからだ。その中でも特に、被爆した妊婦から生まれた、一つ目の赤ちゃんの画像はおぞましくて、今でも脳裏に焼き付いている。
あれを、無垢な小学生に見せてもよいと私は思わない。でもあれを見せないと戦争の真実
を伝えることはできないのだろうか?当時の私は、そんな気持ちだった。

今なら、彼女にこう言い返したい。

戦争は間違いだということを、直感的に感性で理解させるだけでも、小中学生にとっては十分だ。その目的で見せるなら、資料の残酷さは現状で十分だ。むしろ、高校生以上の人たちは、戦争の具体的な描写を記憶するよりも、なぜ戦争が起こったのか、その歴史を理解することが重要だ。歴史を論理的に理解することで、同じ過ちを繰り返さないようにすることこそが、平和を維持するうえで大事だ。

皆さんはどう考えますか?

波音

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別件ですが、私は普段、失恋ソングを中心に作詞作曲をしております。よかったらぜひ聴いてください。この曲は観覧車を舞台にした失恋ソングです。

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