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私消える、と思って実家に帰った。前編

こんにちは。
実は今回の帰省の1週間前にも1週間ほど帰省していたのですが、バイト先には多大な迷惑をかけてしまいましたが、2週間お休みをもらって実家に帰りました。

私、本当に消える、と思って、帰りました。

何がきっかけとか、事の発端はわかりません。
気質もあるでしょうし、塵積って山となるとはまさにこのことで、色々な事を経て現在に至ります。
ざっくりとした理由は私の不器用さかと思います。
人に甘えるとか、人に頼るということがとても難しくて、それは強がりとかかっこつけもあるのかもしれませんが、何よりも「これは怠惰なのかもしれない」「こんなことではいけない、しっかりしなければいけない」こういう感情が渦巻いて、自分では「大丈夫」と「大丈夫じゃない」とか、「できる」「できない」の判断ができなかったからだと思います。

実家に帰る前1週間がピークで、今まで生きてきた中で感じたことのない「消えたさ」がありました。
死にたい、とはまた少し違います。
死んでしまってはいけないという気持ちはありました。
それはどうしても、なんとしてでも遺していきたくない人がいたからで、その存在のおかげで生かされていたといっても過言ではありません。
だから、元から無かったことにしたいと思いました。

夜眠ろうとすると、不安で激しい動悸が始まり息が上がりました。
全く眠れないまま朝を迎え、明るくなると何となく不安が軽減されて、疲れ果てて眠りにつく、そんな日々でした。
今まで心がざわつく、不安で悲しくて涙がでる、そんなことはありましたが、こんなに苦しいのは初めてで、「あれ、なんか私、おかしい」と感じ病院に行きました。

「あなた、死ぬよ。」

衝撃でした。
そして、メチャメチャに怒られた。
怒られても大体なにくそと思う私ですが、成人女性が号泣するくらいには怒られた。

「人生何点くらいで生きたい?」
「(エッ100点じゃないの...?いや、きっと違うんだろうな)85点ですかね。」
「そういうところがダメだって言ってんだ!!!」
めっちゃビックリした。めっちゃ机たたいて怒られた。
曰く、学校でも及第点は60点なんだから、65点くらいで良い。理想が85点ならば、差の20点はここぞというときや、ちょっと無理を頼まれたとき、頑張り時のために蓄えておくものだと。

曰く、私は「犬」と言ったら有名なお父さんのような真っ白な犬じゃないといけないと思っているそうです。
でも、ダルメシアンも犬なのだと気づいて認められるようにならなければいけない。
しかしそうなるまで、20年、30年かかるから、40歳、50歳になるまで心を楽に生きることは諦めろと。
そんなお話を聞きました。
こんだけはっきり言われると寧ろスッキリしますね。

「今日帰ったらバイト先に連絡して、明日から2週間休みを取って一回実家に帰りなさい。」
そう言われ、それは正直名案ではないと思いました。
実家というか、それぞれの家族との間で様々気まずさというか、しこりのような、絡まりがあったので。
ただここでそんなことを話してもきっと「うだうだ言ってんじゃない!」と怒られるんだろうと。

「連絡して、休めそうだったら帰ります。」
「だァからそれがダメだってんだ!!!」
怒られた。
「休めそうとか、大丈夫そうとかじゃなくて、休むんだ!あなた一人いなくたって店は潰れないんだから!」
さすがにここまで怒られて休まずにバイトしてましたなんて、グーパン飛んでくるんじゃないかと思った。

家に帰り、色々考えている中でなんだかんだ穏やかになって思ったのは、自分で判断ができなくなってしまった今、「休んだら?」だとか「大丈夫?」という言葉ではなく、叱ってもらいたかったんだと、絶対に!やめろ!怒るぞ!(怒ってる)くらいの強制力で、休まざるを得ない状況になって、どこかで安心した自分がいるのを感じました。
お悩み相談やカウンセリングでの、「大変でしたね」「お辛かったでしょう」そんな言葉になんとなく、別に全然救われないし楽にもなんないな、と感じていたことに納得しました。
というか、そもそも大変だ、つらい苦しいという感覚というよりも、なるべくしてなった現状という認識でいたので「ウーン…?」という感覚でした。
いや、辛かったのは辛かったです、「明日こそ」の日々の負債が。
私としては、その苦しさが生きるということなのかなと思ったり、なんだかんだ色々思っていたのですが、面倒なので省略します。
あくまで私には合った、というだけの話ですが。

そんなこんなで実家に帰りました。

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