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しばらくののち。

こんばんは、変な人です。

待って逃げないで怪しいものではありません。
最近なるほど合点したことです。

最近すっごく幸せハピネス穏やか大海原!

と最初に書いてしまいましたがこれについては後半で。

幼いころから「変わった子」と言われます。
家族にも恋人にも、同級生にもよく知った友人にも、愛する知己たちにも、変人奇人と言われます。
あまり自分は変だろうか、とか、可笑しいのだろうか、なんてことを考えたことが無かったのでなんだか新鮮です、この頃。

以前「友達が少ない。」というnoteを書きましたが、本当にそうなんです。
思えばずっと、少し、なんとなく、浮いていた。
それは転勤があって同級生と離れていた時期があったから、とか、引っ越して来て初めてのことばかりだったから、とかだけではなかった。

話、ちょっと、長くなります。

父の仕事の都合で、小1から小4の4年間地元を離れていました。
転勤中に通っていた小学校は、小1から中3まで全校生徒が100人前後の小さな学校でした。
出入りが激しかったので、来る人去る人色々いましたが同級生は平均8人ほどでした。
なにせ人数が少ないので、遊ぶ時はみんなで、時には他学年の子も混ざったりしていました。
その中でもやはり、特別仲が良い子とか、いつも一緒にいる子、とかできてきます。
なんとなく、取り残されているような気持ちがありました。

小5、地元に帰ってきてから同じ町内の女の子たちと行動を共にしていました。
登下校もお祭りも一緒で、よくみんなで遊びました。
仲が良いような、良くないような集団でした。
なんとなく、馴染めずにいました。
6年生になる頃には、同じ時期に転校してきた子と二人、そっと輪を抜けました。
後の愛すべき知己ズの一人となるのですが。

中学に上がり、新しい友達が沢山できました。
でもなんとなく、輪の中に溶け込めていない感覚がありました。
中学入学時に近所に越してきた女の子が加わり、3人で行動するようになりました。
彼女たちとだけは、溶けて一つの塊になっている感覚でした。

高校に上がり、小学校からの友人が加わり4人で軽音部に入部しました。
4人組ガールズバンド、初期のけいおん!みたいでしょう。
とても居心地の良い輪でした。
高校に入学すると、それまでなんとなく暗黙の了解のように存在していたスクールカーストというものが如実になってきました。
私の通っていた高校は特にいじめもなく、スクールカーストがどうとかで暴走することはありませんでしたが。
未だに忘れられないことがあります。
スクールカーストだとかヒエラルキーの話をしている同級生が、「あの子は2軍」だとか「私は3軍だから」などと言っていました。
ふと「私はどこに属してるんだろう?」と呟くと、少し考えたあと彼女は

「んー、どこでもないっていうか、なんか独立国的な?」

と言いました。
??????????????
バンドという巣があったので気づいていなかったけれど、思い返すとなぜか結構ぼっちだったかも、私。

進学で東京に出てきました。
新しい人々と出会いました。
尚、変な人と呼ばれています。

それは、趣味嗜好であったり考え方、物の言い方捉え方。
色々な場面で言われます。
変わってると言われて嬉しいと思うこともあります。
心哀しくなることもあります。
それはどういうことかというと、2種類の言われ方があるからです。

変=アンナチュラル、おかしい、違う
変=面白い、興味深い、新しい価値観

前者の「変」と言う人たちになんとなく見下されたり、遠ざけられたり、雑にあしらわれたりすることが沢山ありました。
後者の「変」と言う人たちと語り合ったり、新たな世界を見つけたり、挑戦したりしました。そうして日々広がっていく世界の中が、自由で自然で、なんとも居心地が良かった。

今まで変だとか変人と言われるのは気に食わなかったです。
別に特段変なのではなくて、今まで生きてきた中に似た人がいなかっただけなんじゃないの?と思って。
なんか個人の価値観とか世界観とか善悪とか、押し付けられているような気がして。
今は、「うるせー無難凡々星人め。」と思うようにしています。
と言う私が傲慢人間にならぬよう、生きていきたい次第ですが。
なんていうか、変人という存在の自分に卑屈になったり窮屈に感じたりすることが少なくなりました。

さて、やっと幸せハピネス穏やか大海原に辿り着きました。

というのも、最近は人生や対人関係に悩んだり色々していましたが、そんなことより今までの人生に対する嬉しいが一気に来ていて。
私は私に生まれて幸せなんです最近ほんとうに、聞いて。ねぇ。

好奇心の強い子供でした。
好奇心の強い大人になりましたが。

我が家、ダイバーシティに寛容に育ててくれました。
私が最も感謝していることです。
小学生の時、ミイラに夢中でした。
そんな私を本物の人体を使った人体博覧会や本物のミイラを見に連れて行ってくれました。
図工や美術が好きでした。
様々な美術館や展示会に連れて行ってくれました。
様々な国、場所、社会に連れて行ってくれました。
人種差別を受けました。
博愛の大切さを学びました。
惜しみなく教育に力を注いでくれました。
何を話しても面白いねと聞いてくれました。
思えば、私の面白いや好きいつもを受け入れてくれていました。

そして愛する知己たち、私がなぜ彼らを愛しているか、いちばんの理由は同じです。
純粋に面白いと、耳を傾けてくれたこと。そして対話をしてくれたこと。

打ちひしがれることもありますし、自尊心ゴリ削りの日々もあります。
でもやっぱり、そんな辛苦よりも自分でしか持てない感情だったり感性だったり、果てしない感謝の方が強いです。
最強の悦び。

漸く様々な自分たちが一人の人間として歩調を合わせて歩き始めたような気がして、初めて確固たる自分の価値を見つけた気がします。

ところで

こんばんは、と書き始めましたが、かれこれ2時間以上書いているのでもう朝です。
おはようございます。
私は寝ます。
おやすみなさい。



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