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異次元のシンクロニシティ

「瞳の裏側に写るもの」の続きになりますでしょうか。ちなみにその後、先日と同じような現象は無いです。

時おり、そこにあらざるものを視ることはあっても、私の場合、それは本当に稀なこと。子供の頃は確かに今よりも視る回数は多かったですが、そもそも何時でも何処でも「視える」人というのでは無いのです。

ただ、色んな視え方があるというのは、経験で知ることになりました。

視え方を大きく分けるなら、単純に、
・目を開けているとき
・目を開けていないとき
になりますかねーww  ざっくりすぎか…

目を開けていないときは、頭の中にビジョンが浮かぶだけ。
とはいうものの、目を開けていても頭の中にビジョンが浮かぶときも多いので、特に大きな差はないかな(白昼夢みたいな感じ)。

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前回の目の中にダイレクトに見える感じってのは、これまでにはない初めての体験でしたが。

あと視覚的に捉えてるとき、モノによって視え方が違いますね。
(肉眼で視てる、捉えてるなってとき)

肉体を失って、幽体と霊体だけになった人の場合、いわゆる霊(幽霊)の状態ですけども、ちょっと背景が透けている、スケルトン人間のような、立体的でそれでいて質量と重量がある感じ。
亡くなったばかりのときだと、あまり人間と変わらず、生々しい存在感(気配というか体温みたいなの)があるので、間違えてしまうというか、それと気づかないことが多いです。(実際は体温はない) で、死んだあと、少しサイズが気持ち程度小さくなる。ほんの少しの縮小ですけどね。

※ちなみに幽体(サイキカル体)だけだと透明なゼラチン(ゼリー)や寒天がゴムみたいな弾力を持ったものみたいな感じです。幽体離脱している状態のときに自分を見るとそう見える。ボニョンボヨーンて・・・そんな感じw
死んで肉体から離れると霊体(ノエティカル体)も一緒だから、幽体だけのときと質感がまた違うのです。

想念体であるエレメンタルの場合、もう少し平面的で二次元的な感じ。
投影された3Dやホログラフィのように視えますかね。ネガティブなもの(生霊とか邪念的なもの)は、もやっとした雨雲のような、黒煙のような、べしゃっとして湿気が強いようなものもあるし、ガスが出ているようなのもある… まあ、人間の形をしていないモノがほとんどだから、それはすぐに解りますかね。

このもやっとした、思考の塊や靄みたいなエレメンタルを、オーラと見間違えてしまう人も多いみたい。

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※ちなみにこの図はオーラを表現するものとしては、正しくないですねっっ

(オーラ(霊光)も色々ありますからね。ノエティカル体のエーテルダブルのオーラは宗教画なんかによく描かれてる後光になるかな。別にハゲてるからピッカリしてるわけでなくww ノエティカル体の中心部が松果体になるので、頭部を中心として広がっているのです。そして、エーテルダブルのオーラは色で言うと、ホワイトゴールド(もしくはカナリアンイエロー)

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マテリアル体のエーテルダブルのオーラは、エレクトリックブルーみたいなキレイな色で、これをオーラそのものだと思っちゃう人もいる。
まぁ一番見えやすいオーラで、手の先からうっすらと黒板とか逆に白っぽい壁に手をかざすと視えるのがコレ。誰でも練習するだけで簡単に見えるようになれますよ。※サイコメトラーが写真をリーディングするとき、このマテリアル体のエーテルダブル(の色たるスカイブルー)の輝きが視えるか視えないかで、生死を判断します。

サイキカル体のエーテルダブルのオーラは感情の動きで瞬間的に変わる。
縮小したり拡大したり、とっても流動的。オーラ写真とかに映り込むのはこれだし、色んな色に代わるから、その人の波動の色として、オーラ視で知覚され、情報を引き出すときにリーディングされるのは大抵ここ。

でも、サイコ-ノエティカル体のオーラが本当のオーラ。
その人の霊性・霊格の輝きで波動そのもの。これを視ることが出来る人はほとんどいないけども、霊格の低い人は輝きなく、雲っているから逆に見やすい。この本当のオーラに焦点を合わせてしまうと、それよか下の波動の肉体が視えなくなっちゃって、単なる発光体(光ってる卵みたいな)になっちゃうから困る。

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そして7つのエーテルセンター(チャクラ)たるディスクの輝きはまた別のもの。どの次元に焦点を合わせてみるかで、同じ人を視たとしても、まったく違うものとして視えちゃいます)

さて…エレメンタルが人間の形をしていたとしても、頭だけとか、上半身だけとか、肉体の一部分だけだったり、全身像だったとしても、バランスがヘンだったり、不自然だったり、形がおかしかったりはよくあります。たぶん記憶によって「創られた」ものだからなのでしょう。練って創られた動物(霊)にしてもそれは同じ。

過去生のパーソナリティもエレメンタルですけど、これは完成度が高く、それでいて霊とは違う。色合いがキレイで鮮やかというのかな・・・
単なる感情の一部分データとしてのエレメンタルとは情報量が違うってのがあります。
でも、この辺り説明がちょっと難しいのだけども、過去生のパーソナリティとしてのエレメンタルは、独立した存在だったりする。過去生情報を読むとき、一般的にはこのエレメンタルにはアクセスしない。

大体過去生のデータフォルダとしてのエレメンタルは、カプセルみたいにその人の体内(エーテルダブル)に埋め込まれてて、ここに焦点を合わせることでホログラフィみたいな過去生の姿を見ることもある。
で、ほとんどの人がここから情報を引っ張ってきてるかな。(ちなみにそれ自体がスライド写真であり、映写機みたいな役割をしてくれる。)

でもまぁ、んなうんちく語ったところで、知覚したものを頭の中で映像として変換して捉えて視てるときは、霊もエレメンタルも同じに視えてほとんど区別つきませんけど(汗)

肉眼(幽体や霊体の眼)で視えている・・・という状態の時、視ているものをモノとして捉えてるときでないと、なかなか区別はつきませんの

前置きと思って書き始めたけども、長くなっちゃったっっっ
そして前置きといいつつ、無関係な話題であります<上記

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さてさて、某メソッドの3日目のレッスンの2回目をおさらいをかねて受けさせて頂いたのですけれども、レッスンの内容で、ペットヒーリングの練習がありまして。

前回の時、亡くなった愛猫をイメージしたら、上手く出来なかったので(生きてるのでないとダメらしい)、生きている動物・・・と考えたとき、これといって身近な知ってるペットがいないっっ さて、困った。

で、苦肉の策で、唯一イメージ出来たのが、ソフトバンクのお父さん犬(爆)

会ったことないけど、リアルに生きてるし、かろうじてビジュアルイメージ出来るし・・・(携帯は他社ユーザーですが)

なので、お父さん犬をリアルに思い浮かべようと、集中していたのです。

何故かイメージに出てきたのは、紀州犬ちゃう秋田犬。しかも品種改良される前の、純血種ちっくな、限りなくマタギ犬だよって感じのとっても大きな白い秋田犬。

・・・・何故

(これなら赤カブトと互角に戦えるかも知れんが←違うって)

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そりゃ紀州犬も白いけど、日本犬だけど、
大きさがまったく違うでしょ、紀州犬と秋田犬じゃ。

秋田犬は飼ったことはないんですが・・・Why?

して、その秋田犬・・・何か訴えかけるような目をしてたり・・・する。
心なしか体がちょっと薄く、消えかけ・・・ている?

何か気がつけよと言わんばかりに。

そこでハッと気が付いた、思い出しました。

二年前にM神社に行ったとき、ご眷属さん一匹頂いたんだった。
(ちゃんとご祈祷して頂いて、正規の手続き踏んでます)

でも、期限の一年間過ぎて、その後更新(といっていいのか)謎 行けてなくてそのままずるずると経っていたから、回収いやさ自動的に帰ったんだろうとばかり思ってました。

まだ、いたんだ。

・・・・ごめん

私がこの子差し置いて、縁もゆかりもないCMに出てくる犬をイメージしてヒーリングの練習しようとしたもんだから、
「ボクがいるでしょ、忘れてないでよ」とばかりに出てきたのか・・・

そうか・・・忘れててごめん

でもね、その犬の肉体をスキャンしようとしたら、

中身が無いんですよ・・・

骨とか内臓とか・・・からっぽなの、イメージできないの。

まあ、もともと本物の犬だったわけでなく、使われちゃった動物霊を寄せ集めて練って創られた、エレメンタルだしな(ふっ)

むむむ これでは練習にならん

でした。

ちゃんちゃん

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それからもう一つ。

頭の中のイメージ(ヴィジュアライゼーション)で、作業室を創るということをするんですね。その作業室にアドバイザーみたいな人を男女二人、お招きするというか、どんなイメージの人が出てくるかってのがあるんですけども…

前回、男性は白髪頭のじーさんで、(もはや爺というのがパターン化。何故美少年ではないのか!) 女性は叶美香さん💛みたいな、艶っぽいナイスバディーのお姉さん。(これは理想の投影だと思われ)

で、女性は前回と同じ人だったのに、男性が違う・・・

今回は古代ローマの軍服みたいなのを来た、短髪の中年男性(といっても30代前半くらい)で、なんかとっても忙しない感じの落ち着かないヤツ。部屋中あちこち動き回ったり、椅子に座ってもキョロキョロとあちこち見回して、じっとしてないの。

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あれ・・・?

いままでにはないイメージパターンの人なので、ちょっと意外に思ったり。

そしたらば、シェアのときに解ったんだけども、別の人の作業室にも侵入してた、その人。容姿容貌がまったく同じで、私の作業室からちょっと姿が見えなくなって、また戻って来た、その短い時間で、他の人のとこにお邪魔して、しかも「あんた、ここじゃないでしょ」とその人のアドバイザーさんに
追い出されていたという事実が・・・

わははは

なんかおもろいゾ。

というか、そういうこともあるのでした。

どうもその方と私のノエティカル界が同一レベルなんだと思われ。(サイキカル界たる四次元でなく五次元のほうね)それでそういう混乱、行き来が起きたのだなと納得。ちょっと解りにくい説明だけど、 解る人だけ解って頂戴。

そんなこんなで勉強はまだまだ続く。

ふだん慣れ親しんだエクササイズや瞑想はしても、あんまし霊的修練みたいなのはやらず、生徒さんを教えるばかりで誘導ばかりでしたから、
(漫画読んだりゲーム三昧だったりカフェ巡り三昧で)
今回みたいに他の先生のところで受け手であり生徒として、瞑想指導をしてもらったり、新しいエクササイズ、メソッドを学ぶことで、ちょっとワクワクする面白い体験が出来て新鮮な感じです。

たまには初心に帰るのも必要ですね。

まあでも、網膜剥離(&白内障)の手術をしたことで、いかに人間ていうのが自分も含めて、五感の中でも視覚に頼り切っているか思い知らされ、です。今も右目のレンズは歪んだままで、遠近感ないし、見え方がヘンで不自由ありありなわけで。

なので、「目に視える」ものに惑わされず、視覚だけに頼り切らず、使ってない五感の部分ももうちょっと鍛えないとなーと。第六感のほうもですが。

せっかく多少なりとも鋭敏な感受性?というか、個性的な感覚を持って生まれてきているようですから、もう少し研ぎ澄まして、腐らせたままにせず、
開発してみることも考えますかー(今まで無視しすぎでしたので)

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