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斉昭公と慶喜公が愛した農人形

どうも、WisteriaQです。

徳川斉昭公に関する話で「農人形」というものがある。
最後の将軍であり、斉昭公の息子である徳川慶喜公も農人形を愛用していた。

農民への感謝の印

斉昭公と慶喜公は、農人形に白飯を供え、お祀りしていたそうだ。
水戸市の記述によると、斉昭公は農民が汗水たらしながら農業に励む姿に心を打たれて、農人形を作ったという。

このような信仰形態は確かに他にはない。
農民の苦労の労りと感謝の気持ちが農人形という形に現れたのだろう。

斉昭公独自の信仰?

農民側が神に豊作を願ったり、感謝する祭りはよく見るもの。
だが、農民に対して信頼・信仰する藩主というのは珍しい。

斉昭公は激動の時代、様々な行動力で次世代を導き、新たな時代を切り開いてきた人物。
庶民の持つ能力に未来を託す気持ちも強いのだろうと思われる。
それが農人形にも込められているのではないか、と私は思う。

弘道館の農人形

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