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日々雑感

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日常を送っている上で、感じたこと・伝えたいことを、その都度、書き起こした記事です。
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#最近の学び

breathe

自分が吸う空気も、自分が吐く息も、 他人が吐く息も、他人が吸う空気も、 感じるどころか、 信じることさえ、難しかった。 自己防衛であり、 また、他者への思いやりのため、 息に気を付けていた、3年。 その月日は、いつの間にか、 息の仕方も、希薄にさせてしまったのかなと思う。 現在は、3年前に戻りつつあるようだが、 ついこの間までは、在宅ワークが推奨されていた。 私も、在宅と研究室を、1週間で行ったり来たり。 実験する日、データ処理する日、を分けて生活していた。 私は、

空蝉

それでも、そらをもとめ、なく。 とぶための大きなはね、 樹にとどまるための鋭いあし、 なくためのおなか、 栄養を得るための針状のくち、 陽のあたらない、誰も知らない場所で、 生きる備えをする。 長い備えを終え、ようやく、陽を拝むために、 誰にも見つからない場所に、身を置き、 陽が沈むと共に、 誰にでも見つかるような羽を得て、 いのちのこえを轟かせる。 その空蝉には、驚くほど、何も残っていない。 かつてそこにあった、 過去の暗闇も、現在の苦難も、未来

condense light

誰かと一緒に、 共通の事に、一生懸命取り組むと、 なぜだろう、 苦しみ・悲しみは、半減して、 喜び・楽しさは、倍増するのは。 一方で、その誰かがいなくなると、 なぜだろうか、 苦しみと喜びが、逆転するのは。 今、私が最も尊敬する先輩と、 研究を進める上で、 必要なセットアップを一緒に組んでいる。 と言っても、 今の私では、ほとんどの場合、力になれず、 逆に足手まといになっているかもしれない。 そんな私が隣にいても、 先輩はいつも優しく、 一緒に考えながら、

Butterfly

いつからだろうか。 返す言葉を選んだのは。 いつだっただろうか。 言葉を返すのが億劫になったのは。 いつの日だっただろうか。 文字を見たり、言葉を聞いたりするのが辛くなったのは。 突然、左半身に違和感を覚えた、昨年の初め。 激しい痛みではないが、重い倦怠感と微妙な痛み。 血液が滞留する感覚。 初めから、ストレス性だとは思っていた。 だけど、何がストレスなのか、分からなかった。 いや、本当は分かっていたけど、 認識したくなかったのかもしれない。 その原因に気付い

たべて、うたって、おどって、さけんで、あいして

イタリア人の人生観を表すとされる、 になぞらえて、 辛い時やストレスが重なった時、私がする行動、 そして、これからもこうして生きていきたいと思うことを表してみた。 いつだって、誰だって、 自分の好きなことをずっとしていたい。 私は、食べること、歌うこと、踊ることが好きだ。 いつでも美味しい食べ物を食べていたい。 いつでも好きな歌を大きな声で歌って、併せて踊っていたい。 だけど、世の中、そう甘くはなくて、 様々な人と関わる中でのトラブルに巻き込まれたり、 研究は、上手く

研究とお金と人間と心

私は、理系大学院生。 博士後期課程学生である。 これ以上の詳細な身分を明かすことは、できないのだが、 日々、研究室に通い、研究と人間と向き合っている。 そんな中で、最近、深く考えたことがある。 それは、研究と研究費に関すること。 日常での、生活と生活費の関係性に似ている。 そう、研究費なしに、研究はできない。 だけど、研究費は、 誰にでも頂けるわけでも、 容易く得られるものでもない。 申請書を書いて、提出し、審査で通らねば得られない。 その審査は、決して甘いも

speechless

ある一定のコントール下で、 突発的な激情を、連続的な理性が冷やす。 感情のカルノーサイクル。 繰り返すことで、私を保つ。 激情の理由や原因は、 思いやりのない、不誠実な、無責任な言葉や行動で、 私を含め、誰かが傷つくこと。 特に、私の近くにいる大切な人たちが、 傷つけられるのは、私にとって耐えがたい痛み。 見聞きするだけで、私の激情が増幅され、痛みが増す。 その痛みは、理性で鎮静するが、 欠片は、未だに私の中にあり、消えない。 いつも同じ原因で傷つけられると、 いつ

きずつけるのではなく、きづける/きずける社会 | #もしも叶うなら

叶ってほしいことは、数えきれないが、 その中でも、特に、私は、 きずつけるのではなく、きづける/きずける社会 になってほしいと願う。 もう少し詳しく言うと、 無作為に他人や自分を傷つけることが無くなり、 お互いに尊重できるような社会 になってほしい。 連日のように、誰かを傷つける音が聞こえる。 その音を聞く度に、癒えない傷が軋む。 私は、中学生の時、いじめられた。 ずっと陰口を言われ続けた。ずっと仲間外れにされた。 高校生の時、てんかんを発症して、 て

白でも、黒でも、ありたい

私は、理系の大学院生で、日々、研究を行っている。 ただし、大学院生と言っても、 博士後期課程学生で、いわゆる、ドクター(博士)なので、 その研究に、独創性が強く求められる。 あなたにしか思いつかない、 あなたにしかできない、 あなただけの研究は、何ですか? 「私には、独創性がない」と幼い頃から感じていた私にとって、 この質問は、未だに、とてつもなく辛い。 私は、やはり、どちらかと言うと、1+1=2の発想が多く、 私には、1を2にできても、0を1にするのは難しい

知る苦しみ、知らない苦しみ

ここ数日、色々なことがあった。 だから、ずっと頭が冴えている、一方で、曇った状態。 それは、答えが見つからないから。 否、そもそも、答えなんて、存在しないと分かっているから。 知る苦しみ、知らない苦しみ。 結局、私も、どんな人も、 この輪廻からは逃れられないのかなと、 1つは先週の出張で、もう1つは親戚の余命宣告で、 私の頭の中で廻っている。 ----------------------------------------------------------

わたしは、あなたのものではない

以前紹介した、博士後期課程へ共に進学した親友と、 お昼ご飯を食べに行った。 ここ最近、彼女から送られてくる、メッセージは、 怒り、悲しみ、諦め、やるせなさ、絶望であふれていた。 つい先日も、 辞めようかな と送られてきた。 ずっと気になっていたから、食事に誘った。 お店に行く道中も、口が開かない程、疲弊した様子で、 私も、ただただ、黙って、歩調を合わせていた。 私には、彼女の気持ちや境遇が、口から多くは発せられなくても、よくわかった。 なぜなら、私もそう

自分の音をかき消さない

「大学院生に夏休みはない」 先月、言われた。 確かに、その通り。 大学院への進学は、 今や単にステータスになりつつあるが、 本来は、学問への専門性を高めるため、 もっとこの学問を学びたいから、 という意志が根幹にあるから、その道を選ぶ。 だから、大学院に進学した学生には、 本来、夏休み・冬休み・春休みといった、 長期休みは、ほとんどない。 否、研究・実験につぎ込まれるから、休みではない。 そんなことは、分かっていた。 だけど、こうもはっきり言われたこ

物事の価値を獲得した結果から逆算しない

「教科書を貸してくれませんか?」 3学年離れた後輩に尋ねられた。 それが発端で、私とその子での会話が続いた。 私「どうして?」 後輩「ある講義の試験で必要なんです。」 私「試験で必要なのに、なぜ買っていないの?」 後輩「・・・。じゃあ、先輩は、その講義で使った教科書、読み返していますか?」 私「読み返してはいないけれど、今、こうしてあなたに貸すことになっているけど?」 後輩「・・・」 すなわち、 『その講義は、重要でない上に、  後に読み返すこともない、

怠惰な妥協へのひたむきさ

私は、〇〇係、という役割付けが、あまり好きではない。 特に、伝統・風習、ひいては馴れ合いによって、 ただただ位置づけられた、役割は、何も意味がない。 代々、▲▲の人たちが、これを担ってきたから、あなたも。 これは、もう伝統・風習ではない。 個人の意志を無視した、ただの押し付け、と捉えられても仕方がない。 そうでなくても、 始めは、自分の意志で(または、引き受けざるを得なかった)役割に付いたとしても、 その初心は、いつの間にか消える。 いずれにしても、意志・責