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【ブックレビュー】『英語リーディングへの招待: モームの短編を原文で愉しむ』薬袋善郎 ━━「事柄」に迫るとは!?🕵️

『基本文法から学ぶ 英語リーディング教本』(黄リー教)でお馴染み薬袋善郎先生による、原書読解への「橋渡し」本。今回俎上にのるのはサマセット・モームの短編集"Cosmopolitans"
より、'The Happy Man'『幸せな男』、'The Luncheon'『ランチョン』、'The Ant and the Grasshopper'『蟻とキリギリス』、'Mr Know-All'『物知りさん』の4作品。

橋渡しということで難構文には黄リー教の図解と対応箇所がつくし、巻末にはnotesとして英英の語注もついている。ミル本にも関わられていたDavid Chart先生が監修されているとのこと。

私はモームについてはほとんど読んだことがないので、全作品初見だったのですが、貴重な読書体験となりました。決して奇を衒うような内容ではないのだけれど、どれもストーリーに気の利いたツイストが入っています。1920年代の作品ということで風俗描写には多少時代を感じる部分はあっても、作中に浮かび上がる人間模様は現代に置いたとしても成立する面白さがありますね。例えば、『ランチョン』におけるレストランでの見栄と厚かましさの織りなす微妙な距離感にある男女関係など、現代日本のおごりおごられ問題とさして変わらない卑近な可笑しさがあるなと感じたり。

4作品中で一番長く、また解説にも力が入っているように思われたのは「物知りさん」'Mr Know-All'。薬袋先生がよく言われる表面的な英文解釈に留まらない「事柄」に至ろうとする読解の迫力が感じられるのですが、なんだかいつも以上に力が入っている、なんなら入りすぎているようにすら思えて、例えば、冒頭の、

The war had just finished and the passenger traffic in the ocean-going liners was heavy. Accomodation was very hard to get and...

に出てくるtrafficに「交通量」と「輸送量」の2つの意味があることを指摘し、この場合は、後ろのAccomodation was very hard to get(船室を確保するのは非常に困難だった)との繋がりから「輸送量」でとるべきとしています。したがってそこはthe ocean-going liners were very crowded(大洋通いの客船は非常に混んでいた)くらいの意味だと。普通の英文解説ならここで終わるところではないでしょうか?なるほどここでは「輸送量」の意味なんだな、で納得です。ところが本書は、この後に、

もしtrafficが「交通量」という意味なら、普通はthe traffic of the ocean-going liners was heavy(大洋通いの客船の交通量は多かった)という英語になります。また「交通量」の場合は、「大洋通いの客船の便数が多かった」ということですから、必然的に客室の数も多くなり、次の文でAccomodation was very hard to getと言っていることと、contradictionとは言わないまでも、tensionが生じます。

といった具合にあえて「交通量」の解釈がなぜ良くないのかを念入りに説明してあるのです。そこまで特定の間違った方の解釈につきあう必要があるのかしら?

ここで私の読書探偵🕵️の勘が働きました!

これは......きっと「交通量」で解釈している先行例があるんだろうなと。そこでモームについてはまったくの門外漢ながら有名そうな先行例を調べてみると、


こちらじゃないでしょうか。

該当箇所を読んでみると、まさにこのtrafficの訳し方に関するクイズ形式になっていて、

正解: 太平洋航路の定期船の交通量は多かった。

「行き来は重かった」というのはあまりに直訳すぎますね。trafficがheavyだというのですから、交通量が多かったという意味合いになります(cf. There was heavy traffic on the highway.「ハイウェイでは交通量が多かった」)。

という「交通量」を「正解」とする解説がついています。薬袋先生の詳細な記述はこちらへの反論なり説得を意識して書かれているのではないでしょうか?

そこでさらに気になって龍口直太郎訳(1962)も入手して同じ箇所を調べてみると、

大洋通いの客船はどれも満員だった。従って船室の予約を取ることがなかなか困難で...

という風に、薬袋訳と同じく「輸送量」の解釈をしており、次の文との論理関係を明示するために原文にはない「従って」を補っているのも印象的ですね。

むむむ、これはなにやらきな臭い🕵️🕵️‍♂️

薬袋先生の本書に直接の参考文献として行方先生の解釈本が挙がっているわけではないので今のところ一つの状況証拠にすぎないのですが、実はこの後、ここよりももっと興味深く、作品理解にも大いに関わる両者の「事柄」解釈をめぐる相違点(翻訳技術上の「言い回し」の違いではなく!)が大小複数箇所ありまして、その検証はここのブックレビューの枠を越えそうなので、また別立てのnoteとして投稿するかもしれません。ただ見比べてもらえば違いは明らかなものです。

まとめると、本書の特徴と魅力は、黄リー教による英語の構造理解をベースに原書読解への気軽な「橋渡し本」となっていることに加えて、どこまで原書の描く「事柄」に肉薄できるか(しかも著名な先行例を越えるところまで!?)を筆者自ら実践してみせている野心的な試みである点にもあるでしょう。モームをすでに読んだことのある方でもきっと少なくない気づきを得られるものとなっていると思います。

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