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支え手として立ち返ること

あまり予定も詰め込まれていなかった珍しい1日。
久しぶりにゆっくりと、でもしっかり向き合って利用者さんと話す時間がありました。
 
 
そんな中で感じた話です。
 
 
 
障害福祉の仕事をするようになって、障害者と呼ばれる方が社会に出ていくための支援をするようになって何度も感じた事ですが、少なくとも社会参加の支援を行うステージに来られる方で、本当に障害そのものが彼らの足を止めていることってほとんどなくて、多くの方がそうではない「生きづらさ」に足をとられています。
 
 
僕ら支援者の最初の役目って多分、何が生きづらさを生んでいるのか、その背景を探る事なんだと思います。
 
 
いきなり何か支援に入るのではなく、紙ベースの情報や、障害特性であたりをつけるんじゃなく、ひとつひとつ絡み付いた紐を解くように、僕らが支援として関わる必要のある課題はどこなのか、今もしくは将来的に本人が向き合わないといけない課題はどこなのか、聴きながら問いながら確かめて整理していきます。
 
 
支援者として、支え手としてよりも先に人としてのスタンスで向き合いながら「知ろう」とする事。
 
 
実は本人が答えを持っている事もあるし、課題の本質を少し外れたところに認識している事もあります。
そこをすり合わせていきながら、僕らの言葉が届くように、限られた時間の中で信頼を築いていかないといけないんです。
 
 
そこには小手先のテクニックは役には立たなくて、伝え方や受け止め方も含めて、真っ直ぐに向き合う事が一番大切なのかな、と経験値を重ねるほどに感じるようになりました。
 
 
 
僕は割と「問う」ことが多いと思います。
向き合ってお話をしているときだけでなく、日常の支援や関わりの場面でもとにかく聞きます。
支援を行う中で、僕自身が彼らの人生の答えを持っているわけじゃありません。僕らが答えを出してしまうことも基本的には違うだろうな、とも思っています。
 
 
少し厳しいのかもしれませんが、それでも自分自身の人生の舵は自分で切ることが大事で、そこを肩代わりすることは基本的には支援じゃないんです。
僕らがすることは、本人が自分で答えを出しやすいようにその材料を提示することだったり、不足している要素をどうやって埋めていくか、の部分に介入したりすることが基本で、たまたまそれがダイナミックな動きになってしまうこともありますが、基本的にはご本人に舵を切ることを常に求めます。
 
 
 
僕にとって福祉とか支援って、ずーっと手をかけ口を挟み介入し続けて面倒を見続けることではなく、ご本人が自分なりに「生きていく力」を身につけてもらって、最後は心の杖ぐらいになっていくことなんじゃないか、と考えています。
 
 
だからこそ普段の対話の中でも改まった対話の中でも「問う」んだと思います。
 
 
 
自分なりの答えを持っているけどただただ自信がない。
実は答えを持っているけど気づいていない。
答えを探しているけど見つからない。
実は自分自身に向き合うことから目を背けている。
何から考えたり向き合っていけばいいか分からない。
そもそも考えてもいない。
 
 
問う中でいろんなことが見えてきます。
 
 
その中から本当の生きづらさを見つけていきます。
今見えている問題が生きづらさの正体ではなく、その後ろにだいたい生きづらさの元の姿が隠れていることが多いので、少しずつ問いながらその後ろにある何かに近づいていきます。
 
 
物理的環境的な問題からきている生きづらさなのか。
過去の経験や心の中に溜まっているなにかからくる生きづらさなのか。
思い方や考え方、生きてきた経験などの偏りが結果的に生きづらさになっているのか。
 
 
僕らはその生きづらさ自体を取り除くことは多くの場合できません。
多少減らすことや、一時的に取り払うことはできても、最後の最後に選択して踏み出すのはご本人しかいません。
だからこそ、生きづらさが何なのか、を支援者だけでなくご本人が知ることや知るまでのプロセスを踏むことが大事なんだと思います。
 
 
得体の知れない「生きづらさ」のままだとどうしようもないじゃないですか。
なかったことには絶対にならないし、向き合わずにいたら必ずどこかでまたそれに足を掬われてしまう。
 
 
生きづらさがどこにあるのか、僕ら支援者もご本人もその姿をとらえて、場合によってはそれが起きた要因や理由にまで目を向けて初めてそれをどうやってクリアにしていこうか、という一般的な解釈に近い支援が始まります。
 
 
 
 
人対人、という意味での支援はいつもこうして始めていたなぁ、ということをなんというか改めて思い返していました。
 
 
 
今の世の中は少々生きづらさが生まれやすいような気がしていて、人対人だけの支援では賄えないものも随分と多いのかも知れない、と思っています。
 
 
障害者支援という分野ひとつとっても、選択肢のなさだったり、経験が奪われやすくなっていたり、時代の変化とともに、僕ら福祉の側がいつまでも社会と分断構造を保つことから脱却しなきゃいけないんじゃないか、みたいな課題だったり、社会に求めるんじゃなくて福祉が動けよ、みたいな葛藤だったりが日々あって、人対人の支援も大事だけど、新たな仕組みづくりだったり、枠組みからはみ出していくことだったり、福祉という一つの産業、ビジネスとしてのあり方を再構築しなきゃいけないなぁ、とか、考えさせられることや動き出さなきゃいけないことが山ほどあります。
 
 
どうしても人対人の中だけで支えきれないことが生まれうるからこそ、そちらに軸足を置きながら活動をすることが多くなっています。
 
 
 
でもこうして改めて目の前の本人と向き合って、支援のプロセスに思考を巡らせる時間を持たせてもらうと、自分のスタートラインの位置確認ができたような気がします。
 
 
あれやこれや日々訳が分からなくなるような動きの中で、一体自分は誰のために、何のためにやっているのか、ということを再確認させてもらった気持ちがしました。
 
 
前にも少し記事にしたようなことですけど、基本はたった1人の目の前の生きづらさを抱えている人が、社会の中で自分の足でできるだけ生きていくことができるように、というのが自分のスタンスなんだなぁ、ということに立ち返れた時間でした。

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