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僕らはそろそろ垣根を越えてかないといけなくない?

目的は同じでも、手段が違ったら、カテゴリや所属が違ったら一緒に目的には向かえないんだろうか、と思う事がある。
 
 
目的は同じでも、見据えてる姿が違うからなのか、ただ言語として符合してるだけなのか。イメージしてるものが違うのか。
 
 
目指してる方角が同じなら、誰がやったってどんなやり方だって、そこにたどり着けるなら僕は嬉しいなぁ、と思っていて、でも正解はひとつじゃないし何が正解だなんて分からないから、色んな手段があったっていいし色んな考えがあっていいとは思う。
 
 
でも、その色んな考えがぶつかり合うんじゃなくて、尊重し合えたり時に交わり合ったりを繰り返しながら、やんわりと一緒に目的地を目指せたらいいのに。
 
 
色んな違いがあっても、垣根を越えて、垣根を気にせずに繋がれたららいいのに。
 
 
 
…って事を時々考えます。
 
そういう僕も何かの垣根を自らに作り、枠組みを定義してしまって、他を排してる事もあるんだろうなぁ、とも。
 
 
 

 
立場の違い、所属の違い、スタンスの違い、ポリシーの違い、利害の違いに「我」の違い。
 
 
同じ目的に向かう時に、持ち出す必要のなさそうな垣根がやたらいっぱいあるような気がします。
偉そうなことは言えないけど、時々ノイズのように混じってくる不純物っぽいもの。
 
 
もしかしたらただ僕の価値観に社会性とかが欠如しているだけかもしれません。
イニシアチブに興味はないし、序列とかにも関心はありません。
みんなで一緒にやればいいじゃん、としか思いません。
 
 
 
いろんなセパレートがあちこちにあって、自分達で作ったんだろうにそれがいつの頃か邪魔になってしまっている事に目を向けて、垣根をなくす事が、これからの時代の新たな課題だよなぁ、と思うんです。
 

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