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お願いだから、もう誰も

こんばんは、ウィッシュノートです。

毎日その日、気付いたことや考えたことを詩の形式で投稿しています。

今日はお願いノートのつもりで、いま願っていることをポエムにしました。


お願いだから、もう誰も



私、齢の割には綺麗なほうですし、男の人にもよく声をかけられます。
これこれ、こういうことができます。
ある程度年齢がいっていても、それに釣り合うスペックがあれば、需要はあると思うんですが、どうでしょうか?

いやいや、それは甘いってもんです。
男が女性に求めるのは、肩書や能力よりもやっぱり若さ。
結婚相談所では40代の男性でも、20代の女性がいいっていうくらいですから。
晩婚化なんて言葉に惑わされちゃいけません。
結婚したいなら、いちばん需要のある20代までに売らないと。
いい買い手には出会えませんよ。

見た目、性能、ブランド、希望価格、発売されてから何年か?
新品ですか?
中古ですか?
本体に傷はありませんか?

まるで物の売買だ。
人が人を物のように査定し、優劣を決めて取り引きする。

人は昔から奴隷制とかやっていたからね。
人の心は目に見えないから。
あえて見ようとしなければ、目の前の人にも意志や感情や尊厳があるんだってことすら、私たち簡単に忘れられるから。

「ああ、あなたには、その人が本当に物に見えるんでしょうね」と

私はそれがとても嫌だけど、人が何をどう思うかは、それぞれの自由だからと見ないふりをして来た。

ねぇ、でもさ。

自分のことをたいして知らない人が、上っ面だけを見て点数を付けるのはその人の自由だとして

他人に物のように自分の価値を査定されることを、どうして受け入れてしまう人が居るんだろう。

「いちばん高く売れる時に売らなきゃ」と他人事ならともかく、自分に対して言うんだろう。

それも、それが賢さだとでも言うように、どこか誇らしげに。


分からないんだ。
私はその人たちからすれば、無価値な人間だから。
私は自分を人間として扱えて、自分の心を大事にできて幸せだけど、いつか一人きりで惨めに死ぬことになって「ああ、あの人たちと同じようにしておけば良かった」と後悔するのかもしれない。

でも、あの人たちは、その後どうなったんだろう。
物のようにお互いを査定して、取り引きして、一緒になった人たちは。

人はいつまでも新品じゃないのに。
老いたり病んだり傷ついたりするのに。
その時あった財産が、未来もあるとは限らないのに。

自分の生活を豊かにする「もの」として手に入れた「もの」がそうじゃ無くなった時、あの人たちはお互いを大切にし続けることができるのかな?

私は捨てるよ。
「物」は捨てるよ。
要らなくなった「物」は邪魔なだけだから、片づけて新しい「物」を探すよ。

だから私は物になりたくないし、他の人にもなって欲しくない。

だから、お願いだから、もう誰も自分を物みたいに言わないで。
人や自分を魂の無い物のように扱うことに、お願いだから慣れないで。